◎「すがた(姿)」
「すむかた(済む形)」。「すみ(澄み・済み)」はその項。「かた(方・型・形)」もその項(2021年3月13日)。「すむかた(済む形)→すがた」は、その項気持ちが済む(澄む)形(かた)。満足、完成を感じる形(かた)。それがそれであるあり方(かた)。『万葉集』では「光儀」などと表記されることもあり、外観、外的印象を美称的に表現する語ですが、単なる外観の意でも言われ、内容を考えない単なる外観、のような意をこめて言われることもある。
「いかならむ日の時にかも我妹子が裳引きの姿(すがた:容儀)朝にけに見む」(万2897:「朝にけに」は、一日中ずっと)。
「立ちしなふ君が姿(すがた:須我多)を忘れずは世の限りにや恋ひわたりなむ」(万4441:忘れなければ世の限りにまでいたる。つまり、死んでも忘れられない)。
「人の見及ばぬ蓬莱の山、荒海の怒れる魚(いを)のすがた、唐(から)国のはげしき獣(けだもの)のかたち、目に見えぬ鬼のかほなどの…」(『源氏物語』)。
「しかるを汝(なんぢ)が姿(すがた)は聖(ひじり)に似て、心はにごりにしめり」(『方丈記』:これは単なる外観の意ですが、「汝(なんぢ)」は客観的に見た自分であり、鴨長明がそう言っている)。
◎「すかなし」(形ク)
「すくはなし(透くは無し)」。(気持ちが)透くこと(すっきりすること)が無い。鬱々(うつうつ)として気持ちがすっきりしないことを表現する。
「心には緩(ゆる)ふことなく須加(すか)の山すかなくのみや恋ひわたりなむ」(万4015:「須加(すか)の山」は現・富山県高岡市国吉地内の西山と呼ばれる一帯の山と言われる。なぜ「すかなく」なのかというと、大切にしていたが逃げた鷹がもどってくることを期待しつつ山を見ているから)。
「喽囉 獨坐不楽皃 須加奈志 乎佐奈志 又佐久佐久志」(『新撰字鏡』:「皃」は原文に「皂」と書かれていますが「皃」(かほ:顔)でしょう。「喽(嘍)」は『廣韻』に「煩貌」とも書かれる字。「乎佐奈志(をさなし)」は、幼(をさな)し、ではなく、雄々(をを)しさ無(な)し(元気や活力がない)、という語があったのであろうか。「佐久佐久志(さくさくし)」は「さうざうし」の項(2022年5月18日))。