「しおひ(為覆ひ)」の音変化。「そひ」のような音(オン)を経つつ、「す」になった。「し(為)」は動詞「す(為)」の連用形であり、動態を表現し、動態が対象化し独立化している、ということですが、「おひ(覆ひ)」によりその動態の活動域が特定的極域的なものになり、相対的に周囲との隔絶感も生じる(→動詞「おひ(覆ひ)」の項・2020年11月7日)。視覚的に隔絶すればその動態は見えない(あるいは、見えにくい)。そうなる(そうする)ための施設が「す」。つまり、「しおひ(為覆ひ)→す」は、「し(為)」を覆(おほ)ふもの、の意。それによりそこで隔絶される(見えなくされたり気づかれなくされたりする)「為(し)」(動態)は、人の生活態ですが、意味的に中心的なそれは男女の性的なもの、さらにはその発展としてある乳幼児の保護や育児でしょう。「す(巣)」は、後世では、動物や虫の棲処(すみか)を意味しますが、原意的にはそれは人の生活施設を意味する言葉として生まれたものでしょう。動物や虫の棲処(すみか)を意味するのはその応用的意味発展。後には人の棲処(すみか)やその施設は「や(屋)」や「いへ(家)」や「うち(家)」と言われるようになりますがそれは後世のことです。

 

「……而(しか)るを今運(いまよ)屯蒙(わかきくらき)に屬(あ)ひて民(おほみたから)の心(こころ)朴素(すなほ)なり。巣(す)に棲(す)み穴(あな)に住(す)みて習俗(しわざ)惟(これ)常(つね)となりたり」(『日本書紀』神武即位前己未年三月:民(おほみたから)の居住施設を「す」と表現している。「巢(巣:サウ)」という中国語は『説文』に「鳥在木上曰巢」とされるような語ですが、『日本書紀』のこの部分の原文「而今運屬屯蒙、民心朴素、巣棲穴住、習俗惟常」は中国の古い書『礼記(禮記)』「礼運」にある「冬則居營窟,夏則居橧巢」の影響によるものと言われるわけですが、『礼記』のこの叙述は、「夫禮之初,始諸飲食(夫(そ)の礼の初めは諸(こ)れを飲食に始む)」と言われた直後に、昔、先王の世には、宮室を設(もう)けることはなく、冬は営窟に居て寒さをしのぎ、夏は橧巢(木の上の棲処)を作って涼しさを得、いまだ火もなく、草木の実、鳥獣の肉を食い、その血を飲み、その毛を茹(くら)う…、という描写の中で言われるものであり(つまり、昔は人は動物のようだったと言いたい)、それに対し『日本書紀』のそれは東征が終わり世が平安になり人々の生活が常(つね)になったことを表現し、その生活施設を「巣」や「穴」と漢字表記し「巣」は「す」と読んでいる。「穴」は「あな」でしょうけれど、これも「す」や「すあな」と読んでも不自然さはない)。

「唯(ただ)僕(あ)が住所(すみか)をば、天(あま)つ神(かみ)の御子(みこ)の天津日繼(あまつひつぎ)知(し)らしめす、登陀流(とだる) 此三字以音 下效此 天(あめ)の御巢(みす)如(な)して、底(そこ)つ石根(いはね)に宮柱(みやはしら)布斗斯理(ふとしり) 此四字以音…」(『古事記』:ここでは神の生活施設を「す(巣)」と表現している。「とだる(登陀流)」はその項)。

「鳥の巣」、「蜘蛛の巣」、「鼠の巣」