◎「じんた」

「ジンタン(仁丹)」の語尾「ン」の脱落。「じんた」は、大正期に生じた、市中音楽隊およびそれが演奏する音楽の俗称。「市中音楽隊」は、明治二〇年代に軍楽隊出身者を中心に組織された商業吹奏楽団。年月とともにその技術や質は低下低俗化し「じんた」はばかにしたようなからかい気味の俗称です。「ジンタン(仁丹)」は1905(明治38)年に発売された口中清涼剤の商品名。当時の市中音楽隊が、その衣装から、その「仁丹」の商標に描かれた軍人を思わせたことによる名。

この語の語源は、その市中音楽隊の演奏が、ジンタッタ、ジンタッタ、と聞こえたから、ということがほぼ通説になっています。この「ジンタッタ」はチンドン屋によって演奏される『美しき天然』の印象でしょうけれど、チンドン屋の三拍子は第二次大戦後と言われ、「じんた」という語は林芙美子の『放浪記』にあるわけですから、おそくとも1930年代ころにはあるでしょう。また、その技術や質の低下低俗化した市中音楽隊はサーカスの呼び込み演奏なども行い、そこで『美しき天然』も演奏されはしたでしょうけれど、それがチンドン屋のような、ジンタッタ、であったかは疑問です。『美しき天然』は海軍軍楽隊の人により作曲されたものであり、原曲の演奏はチンドン屋の演奏とはだいぶことなる(ましてや、諏訪根自子がヴァイオリンで演奏するそれなどとは別の曲といっていいほど異なる)。たぶん1900年代初期頃から、サーカスで演奏されたそれ(日本最初のサーカス(木下サーカス)の設立は『美しき天然』発表の1年前)に関しては作曲家・古賀政男がその著『わが心の歌』に「私は朝から晩まで、サーカス小屋のまえに立ちつくして不思議な音色に聞き惚れ、まるで夢心地であった」(『自伝 わが心の歌』(古賀政男))と書いており、そこにチンドン屋のジンタッタ、ジンタッタの印象はない。

 

◎「じんだ」

「ジンダイミソ(尽代味噌)」による「ジンダ」。これは糠味噌(ぬかみそ)を言う。「ジンダイミソ(尽代味噌)」とは、代が尽きるまでずっとある味噌、の意。糠味噌(ぬかみそ)は、後世では、そこに野菜を入れ漬物を作ることが一般ですが、魚(とくに小イワシ)の煮物に入れたりもし、古くは糠味噌の汁物というものもあった。

「…トトワレケレハ(と、問われければ)、春乗被申(まをさる)ハ秦太瓶(シンタカメ)一ツ也トモ執心(シウシン)トトマラン物ハ可棄(スツ)トコソ心得テ侍レト申サル」(『(米沢本)沙石集』四冊め七「道ニ入リテハ執着ヲ可棄事」)。

「糂汰 ジンダ 又云糠味噌」(『書言字考節用集』)。