「しり(領り)」(A)による場合と「しり(知り)」(B)による場合がある。

(A)「しり(領り)」による場合。

「しりおほしめし(領り生ほし召し)」。「しり(領り)」はなにかをそれが自然の意思、神の意思であるような意思下におくこと(その項・1月31日)。「おほし(生ほし)」は動詞「おひ(生ひ)」に尊敬の助動詞「し」がついているもの(→「し(助動・尊敬)」の項・下記※)。「めし(召し)」は、成り立ちは動詞「み(見)」に尊敬の助動詞「し」がついているものですが、それ自体が尊敬・遠慮を表現する動詞になっている。つまり、「しりおほしめし(領り生ほし召し)→しろしめし」は、「しり(領り)」の部分が「きき(効き・聞き)」であれば「ききおほしめし(効き・聞き生ほし召し)→きこしめし」ということであり、ある主体が「しり(領り)」という動態にあることを遠慮し、敬い、表現したもの。「しり(領り)」の尊敬表現。似たような語音の「しらしめし」という語もありますが、これは「しり(領り)」に尊敬の助動詞「し」がつき、さらに「めし(召し)」がついている語。これも「しり(領り)」の尊敬表現。

「天皇(すめらみこと)、有司(つかさ)に命(みことおほ)せて壇(たかみくら)を泊瀬(はつせ)の朝倉(あさくら)に設(まう)けて、卽天皇位(あまつひつぎしろしめ)す」(『日本書紀』:この「しろしめし」は、それ自体が天皇の即位を意味するような用い方がなされる)。

「皇(すめら)我(わ)がうづの御子(みこ)………大八島豊葦原(おほやしまとよあしはら)の瑞穂(みづほ)の国(くに)を、安国(やすくに)と、平(たひら)けく、所知食と 古語云志呂志女須…」(「祝詞」『大殿祭(おほとのほかひ)』:『延喜式』八巻)。

(B)「しり(知り)」による場合。

「しりおほしめし(知り生ほし召し)→しろしめし」。上記と同じ理由により、これは「しり(知り)」の尊敬表現。

「既(すで)にして皇后(きさき)、則(すなは)ち神(かみ)の教(みこと)の驗(しるし)有(あ)ることを識(しろ)しめして…」(『日本書紀』)。

「なにがしこの寺にこもりはべりとは、しろしめしながら、しのびさせたまへるを、うれはしく思ひたまへてなむ。」(『源氏物語』:私がこの寺にいるのをご存知なのに、人に知られぬようにしているのを…)。

「心心(こころこころ)を見たまひて、さかし、をろかなりとしろしめけむ」(『古今集』序:識別し判断する)。

「『命終らむ月日も、さらにな知ろしめしそ。…』」(『源氏物語』:命が終わる月日の浸透的影響作用をうけるようなことはあってはならない。それを思いわずらうな。つまり、「しり(知り)」の尊敬表現、とはいっても、これはただ、記憶してはならない、と言っているわけではない。「しろしめし」が、何かの浸透的影響作用が内側で無から生じたように大きく育つことを表現する)。

 

※ 上二段活用動詞の場合、その他動表現は活用語尾がO音化しますが(「降(お)り→降(お)ろし」「過(す)ぎ→過(す)ごし」)、同じ理由(それに関しては「おとし(落とし)」の項・2020年10月21日)により、尊敬の助動詞「し」がつく場合も、活用語尾はA音化するのではなく、O音化する。たとえば「生(お)ひ」は「おほし(生ほし)」。「おひ(生ひ)」は上二段活用。