「しいりおひ(為入り負ひ)」。「ひ」は脱落した。
「し(為)」は動態であり、社会的動態たる作用・働き(意味や価値)。何らかの個別的・具体的な動態、作用・働き(意味や価値)が考えられる。「しいり(為入り)」は、そうした動態、社会的動態たる作用・働き(意味や価値)が(作用として)入(はひ)り加(くはは)り、ものやことがそれを負(お)った、作用として負荷した、状態になること、そうなったものやこと、が「しいりおひ(為入り負ひ)→しろ」。たとえば、AがBの「しいりおひ(為入り負ひ)→しろ」であるとは、AはBの意味、価値として働く(Aが着物、Bが酒であり、Aが酒の「のみしろ(飲み代)」として酒屋においていかれたりする。A(着物)がB(酒)の社会的作用を負い、A(着物)はB(酒)の「しろ」になる)。Aが貨幣である場合、AはBの「代金(ダイキン)」になる。Bが身(み)であればAは「身代金(みのしろキン)」になることもある。債権価値を担保する債務(弁済物B)の担保物(A)も「しろ」ということがある(本来の債務弁済の代わりとなりそれと同価のものやことということ)。
Aが(社会的な意味や価値として)BになるためにAを用いた人の働きが必要であり、それがある場合にのみAはBになる(BはBたり得る)場合、AはBの社会的作用たる働き、その意味や価値を負い、AはBの「しろ」になる。わかりにくい言い方であるが、たとえば、Aが歌の素材たる歌詞(上記の着物)であり、人がそれを歌って初めて歌(上記の酒)になる(A(歌詞)の専作用域は歌(B))場合、その素材たる歌詞は歌の「しろ」になる(つまり、Aは、素材、素(もと)、のような意味になる。下記『邪宗門』の例ではAは毒草(の花の汁)、Bは化粧)。このAたる素材部分が一定の用途に利用し得る地形状態にされたある地形域であり、その一定の用途がBの植物的社会的作用たる働き、その意味や価値が稲・米のそれ(稲や米の発芽・生育・成熟完成)である場合、その地形域も「しろ」となる(その域が稲たる意味・価値をもった(稲たる意味・価値を為入れ負った)専域、そこで種(たね)が稲となる専域、となる)。Aの用途が種(たね)の発芽育生でありそれが苗(なへ)の専域であれば、Aは「なはしろ(苗代):苗の発芽発育用の小田」。その地域が「しろ」になることにより田の一区画も「しろ」になり(ここを水の入った状態で掻きならすことを「しろかき(代掻)」と言う)、古代(大化改新以前)、「しろ」は田の面積単位にもなった。その場合、AはBがもっぱら作用する専作用域とでもいう状態になり、Bが糊(のり)であればAは「のりしろ(糊代)」。Bが動態である場合もある→「伸(の)びしろ」(成長の余地:「彼にはまだのびしろがある(彼はもっと成長する)」)。
また、Bの人間的社会的作用たる働き、その意味や価値が人によるある地域の管理や統治でありそこがBの専域となっている場合、その地域Aは「しろ」となり(上記の例で言えば、ある地域が苗代や田で、ある人の権威が稲や米になりそこで根づき成熟するわけである)、その管理・統治のために作られた施設もその「しろ」を象徴し実践する施設として「しろ(城)」と呼ばれる。この「しろ(城)」は、他のBがその域を専域だと思っていたりそれを願望したりすることもあるわけであり、古く、ただ外敵警戒をおこなっている場合、それは古代の「き(城)」と区別はつきませんが、後には、ある地域の統治管理を行う拠点となり、大名が居住するようになる。
「吾(あれ)聞(き)く、武埴安彥(たけはにやすびこ)が妻(つま)吾田媛(あたひめ)、密(ひそ)かに來(きた)りて、倭(やまと)の香山(かぐやま)の土(はに)取(と)りて、領巾(ひれ)の頭(はし)に裹(つつ)みて祈(の)みて曰(まを)さく、『是(これ)倭國(やまとのくに)の物實(ものしろ)』とまをして則(すなは)ち反(かへ)りぬ 物實 此云望能志呂」(『日本書紀』)。
「たな霧らひ雪も降らぬか梅の花咲かぬが代(しろ)にそへてだに見む」(万1642:この「代」は、かはり、や、かひ、とも読まれている。雪を添えることが梅の花が咲かないことと同じ意味、同じ価値になる、という表現は意味がおかしいわけです。これは、しろ、と読んで、咲くという債務を実行しないならそれを代物的に担保する債務の実行として雪でも降らせろ、ということか)。
「『…力の有し程は島の者のするを見習(みならう)て、此の山の峯に登(のぼつ)て硫黄(いわう)を取(とつ)て、商人(あきびと)の舟の著(つき)たるにとらせて、如形(かたのごとく)代(しろ)を得て日を送り、命を續(つぎ)しか共…』」(『源平盛衰記』:これは鬼界ヶ島に島流しになっている俊寛の話(1100年代末)ですから、代(しろ)は現金(貨幣)ではないでしょう)。
「あるは聞く、化粧(けはひ)の料(しろ)は毒草(どくさう)の花よりしぼり」(『邪宗門』(北原白秋):これは上記・素材の意であり、その毒草の専作用域は化粧(けはひ)なわけです)。
「しかとあらぬ五百代(いほしろ)小田(をだ)を刈り乱り田廬(たぶせ)に居れば京(みやこ)し思ほゆ」(万1592:これは「しろ」が区画単位になっている)。
「此國山河襟帯 自然作城 因斯形勝 可制新號 宜改山背國 爲山城國」(『日本紀略』延暦13(794)年11月8日:「山背」の国を「山城」の国に改めたとはどういう意味であろうか。「やましろ(山背)」を「やまき(山城)」に改めたが誰もそうは呼ばず「山城」を「やましろ」と読むようになっただけ、ということか。ほとんど奈良時代と言っていい794年ならあり得る。中国語の「城(ジャウ:呉音)」は都市を囲む壁のようなものであり、日本語の「しろ」とはだいぶ意味が異なる)。
「Xiro(シロ). Fortaleza(拠点、要塞). ……」(『日葡辞書』)。
「八重事代主神(やへことしろぬしのかみ)」(『古事記』) 「事代主神(ことしろぬしのかみ)」(『日本書紀』)。この「ことしろ(事(言)代)」と表現される神はオホクニヌシノミコトに国譲りを迫る天つ国からの使者にどう返事すべきか、その内容を決定している。国譲りは、つまり天孫降臨に世界を開くことは、オホクニヌシノミコトが決めたわけではない。オホクニヌシノミコトは「ことしろ」に問ひ、こたへたるその言葉にそれはより決まった。この「事代神(ことしろのかみ)」は神功皇后が自ら神主(かむぬし)となり神の言葉を得る努力をした際(神功皇后摂政前期)、神の声として現れ、その他、いくつかの場面で、ある人が突然神がかりしなにごとかをお告げとしてなにごとかを言う際に現れる。では、こと(事・言)のしろ(代)、とはなんなのか。それは、上記『日本書紀』における「ものしろ(物實)」が「もの」たる「しろ」であるように、それは「こと(事・言)」たる「しろ」であり、「香山(かぐやま)の土(はに)」(A)が「倭國(やまとのくに)」(B)の「しろ」、すなわち、それではないがそれと同じ意味作用・価値作用を果たすものたる「しろ」、すなわち、それではないがそれと同じ意味作用・価値作用を果たすものであるのに対し、それは(A)が「こと(事・言)」たる「しろ」、すなわち、それではないがそれと同じ意味作用・価値作用を果たすことなのです。ここで矛盾が起こる。すなわち、「こと」ではないが「こと」と同じ意味作用・価値作用を果たす「こと」とはなんだ、ということ。それは、それによって「こと」がある素材・素(もと)のようなものなのです。宇宙の運動があり生命の活動があり人間の活動があり生活がありそこに言語の素材・素(もと)があり言葉の素材・素(もと)があり人がそれを生態的な音声としてはじめてそこに言語はあり言葉はある。その、素材・素(もと)たる「しろ」をつかさどっているのが「ことしろぬしのかみ」だということです。言語が言語たり得るか、言葉が言葉たり得るかはその言葉が嘘か本当か、正義か悪か、正しいか誤っているか、真理であるか、否か、によっては決まらない。それはその言葉が「ことしろ」によっているか否かによって決まる。「ことしろ」によっていなければそれは言語でもなければ言葉でもない。そこに言葉はない。