「すひゐいるよ(透氷居入る世)」。「す(透)」は、動詞「すき(透き・空き)」の語幹や名詞「す(簀)」にもなっているそれ。これはS音の動感により通行感・透過感を表現する。「ひ(氷)」は氷(こほり)ですが、「すひ(透氷)」、すなわち、透過感のある氷、とは、水の結晶体ではなく、微細な水の結晶体が堆積している状態であり、その微細な結晶体相互の接合部に全体的に空洞が感じられ透過感があるということ。簡単に言えば、雪が降りつもっている状態です。「ゐいる(居入る)」の「いる(入る)」は、驚き入る、や、感じ入る、などのそれであり、まったく何らかの動態になること。「すひゐいるよ(透氷居入る世)→しろ」、すなわち、降りつもった雪が全く存在する状態になっている世(よ:世界)とは、一面、見渡す限り雪が降りつもっている世界です。そうした世を見ている印象であることが「しろ(白)」。これが色名となっている。その場合、積雪が「あり」ではなく「ゐ(居)」と表現されているわけですが、現れ、消える、という生態的な事象となる雪や積雪がそのように表現されることは遠い古代においては十分にありうる。
「つぎねふ(都藝泥布) やましろめ(山城女)の こくは(木鍬)もち うちしおほね(大根) ねじろ(根白:泥士漏)の しろ(白:斯朗)ただむき(腕:多陀牟岐) …」(『古事記』歌謡62:「つぎねふ」「ただむき(腕)」はその項)。