「しりふむゆゑ(後踏む故)」。「むゆゑ」が濁音化しつつ「べ」になっている。「しり(後)」は進行最終了部→「しり(尻・後)」の項(1月29日)。「ふみ(踏み・践み)」は実践すること。「ゆゑ(故)」は、根拠を上回る根拠→「ゆゑ(故)」の項。「しりふむゆゑ(後踏む故)」は、後(しり)を踏むことの故(ゆゑ)・理由、ではない。後(しり)を踏むという故(ゆゑ)、後(しり)を踏むことそれが、故(ゆゑ)となる、そこに理由があり、それが、正しい、となる、ものやこと。つまり、それに従うことができるもの(人も含む)やこと。それが「しりふむゆゑ(後踏む故)→しるべ」。人との関係やそういう関係にある人を「しるべ」ということもある→「我父八重桐、浮世をはやく去ける時某はまだ三歳、母の懐にいだかれて知るべの方へ身を忍(しのび)しに、五の歳母に別(わかれ)、たよる方なき孤(みなしご)にて乞食(こつじき)非人ともなるべきを路考どのの親菊之丞どの我親とのしたしみありとて不便(ふびん)を加へ我を養ひ産(うみ)の子も同然に…」(「談儀本」『根南志具佐』:運命を左右するような関係、そういう関係にある人が「しるべ」といわれているということ)。

漢字では、具体的にそれがなんであるか、どういうことであるかに応じて、「導、指南、知辺、導者、師、知己・知人、類、標…」といったさまざまな書き方をする。

この語の語源は「知(し)るへ(辺・方)」といわれることが一般です。それが常識と言ってもいい。しかし、「へ(辺・方・重)」は時空の独立した限定域を表現し(「へ(辺・方・重)」の項)、「知(し)るへ(辺・方)」は、完全な「知る」にはならないが今はとりあえずそれで知ったことにするものやこと、という意味になる。しかし「死出の山路のしるべともなれ」(『山家集』)や「道標(みちしるべ)」の「しるべ」はそういう意味ではない。「寄(よ)る辺(べ)なき」の「よるべ」は「寄(よ)るへ(辺・方)」。

「高麗(こま)の王(こきし)、乃(すなは)ち久禮波(くれは)・久禮志(くれし)二人(ふたり)を副(そ)へて導者(しるべ)と爲(す)」(『日本書紀』)。

「『朕(われ)聞(き)く、明哲(さかしきひと)の民(たみ)を御(をさ)めたまふは…………蒭蕘(くさかりわらは)の說(こと)と雖(いへど)も、親(みづか)ら問(と)ひて師(しるべ)に爲(し)たまふと』。」(『日本書紀』)。

「都には明日と志したれど上らじ。(生まれ育った東国で)御しるべにつきて、文讀み歌學ばむ」(「読本」『春雨物語』)。

「何をかしるべに申(まうし)あぐべきたよりもなしと申せば。それにこそ證據(しやうこ)あれと念比(ねんごろ)に語る」(「浮世草子」『西鶴諸国はなし』)。