「し」は進行的な動感を、それによる浸透的影響効果を、表現する。進行的動態・浸透的影響効果が進行的に作用する、した、情況になること。「しみ(浸み・染み)」の活用語尾がR音になっているような語ですが、その「し」が(活用語尾R音により)客観情況化して、それゆえに動態が一般して、表現される。(知る主体ではなく)知る内容をA(たとえば花)と表現した場合「A知り」「Aの知り」「Aも知り」「Aは知り」「Aと知り」「Aを知り」といった言い方をする。それらは「A」が進行的動態・浸透的影響効果をもって進行的に作用しそれは人の動態・生態となりますが、「Aおぼえ(A覚え)」の場合は、後世では「Aおぼえ(A覚え)」はなにごとかを記憶することが一般的な意味となり、それは「A」という記憶は再起しますが、知ってはいない。
否定により自分は何の関与もしないことが言われたりもする。「そんなことして。どうなってもしらないよ」。
「大伴(おほとも)の遠(とほ)つ神祖(かむおや)の奥城(おくつき)はしるく標(しめ)立(た)て人のしる(之流)べく」(万4096:この「たて(立て)」は「たち(立ち)」の希求のような命令でしょう)。
「…死ななと思へど 五月蝿(さばへ)なす 騒く兒(こ)どもを 棄(う)てては(打ち棄てては) 死には知らず…」(万897)。
「他国(ひとくに)に君を去(い)ませていつまでか吾(あ)が恋(こ)ひ居(を)らむ時のしら(之良)なく」(万3749)。
「女の性(しやう)は皆ひがめり。人我(にんが)の相(さう)深く、貧欲(とんよく)甚(はなは)だしく、物の理(ことわり)を知らず」(『徒然草』)。
「中将の乳母は、今は中納言殿の事をばしらで、若君の御かしづきをのみまたなくして…」(『浜中納言物語』:この「しらで」は、心にない、ということ。心にあればいろいろと配慮したり世話をしたりする)。
「むかし、男、津の国にしる所ありけるに」(『伊勢物語』:これは、なじみのところ、のような意)。