「しひら(為平)」。「し(為)」が「ひら(平)」ということですが、「し(為)」はあらゆる動態一般であり、「ひら(平)」は、あらゆる意味で突出がなく普通・並みであること。ここでは質的なそれを言う。「平侍(ひらざむらひ)」や「平社員」その他のそれ。すなわち、「しひら(為平)」は動態一般が普通・並みであること。質的に特別ななにごとか、突起的ななにごとかがない。この「しら」による表現としては「しらばけ(しら化け)」(動詞:なにごともすべて打ち明けることにより正体を隠すこと)、「しらばくれる」(動詞:その項。同じような意味で「しらとぼける」)、「しら大衆(ダイシュ):官位のない僧」、「しらの職人(地位であれ技能であれ、特別なことのない、金だのなんだのに貪欲に欲をかくわけでもなくただ実直に生活している、普通の職人)」。「しらだな(しら店):その経営規模であれ、営業内容であれ(たとえば色事関係の商売ではない)、ありきたりな普通の店」。「しろうと(しらひと→しらうと→しろうと(素人:そのことに関し質的に特別なことはなにもない人)」、「しらに言ふ」(誰でもそうである(つまり、聞いている人もそうである)常人状態とでもいう状態で言うこと。包み隠さずありのままに言うこと)、「しらをきる」(「きる」は存否を終局的に現すこと)その他がある。よく言われる、酒を飲んでいない状態を意味する「しらふ(素面)」の「しら」はこの語ではない。酒を飲まないことは決定的な常人の態ではない。

この語は、「白雪(しらゆき)」その他にあるような、色名たる「しろ(白)」の語尾がA音化・情況化している語と理解されることが一般です。なんの色もついていない→特別感がない、ということでしょう。しかし「白(しら)」は、色を表現する以外、「しらにせ(しら似せ):酷似させること」や「しら几帳面」などのように、動態としての混じりけのない純粋さを表現し、普通や並みを表現するわけではない。