この語の語源は「しほはゆい・しほはゆし」とされるのが一般のようです。「はゆし(映ゆし)」は反映、まばゆさ、が過剰ということですが(「おもはゆい(面映ゆい)」のそれ)、この語は、顔がむけにくい、きまりが悪い、といった意味でしかもちいられていないでしょう。
この語は味覚として塩を感じるという意味で用いることが一般的ですが、「しほ(塩)」という言葉には意気消沈した状態を意味する効果があり→「しほたれ(塩垂れ)」の項、「しょっぱい」も何かが意気消沈させるような状態であることも意味する。これはAにかんしBが「しょっぱい」と言った場合、BはAにかんし意気消沈するような、がっかりするような、思いを感じているということ。「『アノ酒屋のかゝあ(嬶)めはしょつぱいやつよ。うらがあしこに(私があそこに)ゐる時分にやァ、飯(めし)の中へすさ(寸莎:藁を刻んだものなど。壁土のつなぎにする)をまぜて食はしやァがつた』」(『東海道中膝栗毛』:これは江尻(後の静岡県静岡市あたり)での話)。
◎「しょげ(悄げ)」(動詞)
「しほげ(塩気)」の動詞化。その音変化。「しほ」が「しょ」になるのは口唇の発音動作が怠惰になればそうなるということでしょう。「しほ(塩)」という言葉には溶解し濡れ崩れる(→気持ちが溶解し崩れる)印象がある(→「しほたれ(塩垂れ)」の項参照)。そんな状態になることが「しょげ」。意気の躍動が極度に減少し、あるいはなくなり、消沈する。
「天狗中間(なかま)がよつてしよげにいたさふぞ」(「評判記」『役者口三味線 京』)。
「船中弥次郎のへこんだのをおかしがりどつと笑ふ。弥次郎はしよげてだんまり」(『東海道中膝栗毛』)。
「其気(そのき)もつかぬ白癡(たはけ)者、嗜(たしなみ)おれと呵(しか)られて。俄(にはか)にしよげりましくしと、水洟すゝる計(ばかり)也」(『艶容女舞衣(はですがたをんなまひぎぬ)』:連用形が、「しょげ」ではなく、「しょげり」になっている。「しほげ(塩気)」の動詞化は終止形「しほぐ」にはなりにくく、「しほげ(塩気)」に情況動態たることを表現するR音がつき「しほげる→しょげる」になり、それが連用形にもなるということでしょう。「ましくし」は、目は動き見てはいる、しかし目のその世界は空(うつ)ろであり心はそこにない、という状態を表現する→「まじくじ」の項)。