「もうすぐ来るでしょう(もうすぐ来るでせう)」「行きましょう(行きませう)」などという場合の「~しょう(~せう)」。
「~でしょう」は「~ですへよう(~です経よう)→~でせう→~でしょう」。「~ましょう」は「~ますへよう(~ます経よう)→~ませう→~ましょう」。「です」「ます」「よう」はそれらの項参照。これが意思や、「経た」状態の推量、~だという状態が経過するであろう見通し、を表現する。「明日は雨でしょう」。意思の伝達は勧誘にもなる。「一緒に行きましょう」。かつての一般的表記は「せう」。
「~でせう」「~ませう」にかんしては「~です」「~ます」の未然形に助動詞「む」のついたものの音変化、と言われますが、これは「でせう」「ませう」は「でせむ」「ませむ」の変化であり助動詞「む」は動詞未然形につくから「~でせ」「~ませ」が未然形と言われているだけのもの。
「『…。時に与四さん、コヲなすつやァどうでせう』」(「人情本」『春色恋廼染分(しゅんしょくこひのそめわけ)』:推量。相手の意思を推量している)。
「らく『マァ、何時比(いつごろ)でせう』 惣『ナニが』 らく『今の咄がサ』 惣『さうサなァ。いつにならうか』 らく『マア大がい何日比(ころ)』」(「人情本」『春色江戸紫』:将来のことを推量している)。
「目代『ヤイヤイ、何ぞ勝負をして、其勝まけに依て一の店を云付うと云(いう)たれば、棒を振(ふら)うといふが、そちもふるか』 シテ『あれが振らば私もふりませう』」(「狂言」『鍋八撥(なべやつばち)』:意思)。
「との『さあさあ』 くわしや(冠者)『いや。おしやく(お酌)慮外に御ざりまする。これへくだされませう』 との『さあさあ、うけいうけい』」(『狂言記』「抜殻」:くだされる経過があるだろう、という推量が遠慮がちに受けることを表現する)。
「『余の者の廻向(ヱカウ)とも違ひまして、(死んだ(ことになっている))平六殿も悦ばれませうほどに、今夜は何卒(なにとぞ)留(とま)らせられて…』」(「狂言」『塗師(ぬし)』:推量)。
「向こうへいきましょう」(意思を伝えることが勧誘になる)。