◎「じもの」

「じむをにを」。「じむ」は動詞「しみ(浸み・染み)」の連体形とその連濁であり、なにかの影響進行にあることを表現する。「所帯じみた」や「狂(きちが)ひじみた」などもある「~じみ」です。次の「を」は助詞であり状態を表現する。その次の「を」も助詞であり状態を表現する。最初の「を」は、なにじみているのか、なにごとじみているのか、を提示し強調的に表現する。次の「を」は、なにじみて、なにごとじみて、どういう動態になっているのかを提示し強調的に表現する。「に」は、「虹ににほへる」(万1594:虹という地点に赤くなっているのではなく、虹の状態で赤くなっている)、のような、いわゆる副詞的な(動態を形容する)「に」。たとえば「… 犬(いぬ)じもの(伊奴時母能) 道に伏してや 命過ぎなむ」(万886)の場合、犬じむを、にを道に伏し、ということであり、(人などとは言えない)犬のような状態で、(飼われている犬ではなく、野良犬のように)道に伏し、という表現になる(これは旅の途上で疾(やまひ)を獲(え)、重態になった人を歌ったもの。古代の旅であり、宿などない)。

 

「真木(まき)さく 檜(ひ)のつまで(原木)を もののふの 八十宇治川(やそうぢがは)に 玉藻なす 浮かべ流せれ そを取ると 騒く御民(みたみ)も 家忘れ 身もたな知らず 鴨(かも)じもの(鴨自物) 水に浮き居て…」(万50)。

「…奈良のはさま(婆娑摩)に 獣(しし)じもの(斯々貮暮能) 水漬(みづ)く辺籠(へごも)り…」(『日本書紀』歌謡95:「はさま」は、地形的にはさまれたような、物陰の地、ということでしょう。死んだ獣(しし)のように水に漬けられたようになり片隅にこめられたようになっている)。

「御命(オホミコト)ヲ畏(カシコ)ジモノ(自物)受(ウケ)賜(タマハ)リ坐(マシ)テ………………御身(ミミ)不敢賜(アヘタマハズ)有(ア)レ…」(『続日本紀』宣命:「畏(かしこ)」となったように御命(おほみこと)を受けた、というのは一見奇妙な表現なのですが、これは、私はその思いが足りなかったほどいたらない者であり、なので、このたび皇太子に譲位することにした、という宣命なのです)。

「…茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど たのめりし 兒(こ)らにはあれど 世の中を 背きしえねば かぎろひの 燃ゆる荒野(あらの)に 白栲(しろたへ)の 天領巾(あまひれ)隠(かく)り 鳥(とり)じもの(鳥自物) 朝立ちいまして 入日なす 隠(かく)りにしかば 吾妹子(わぎもこ)が 形見に置ける みどり兒(ご)の 乞ひ泣くごとに 取り与ふる 物しなければ 鶏(かけ)じもの(鳥穂自物※) わきばさみ持ち…」(万210:「鶏(かけ)じもの」の部分は一般には「をとこじもの(男じもの」と読まれている。しかし、万210の原文(西本願寺本)は「鳥穂自物」になっており、「鳥穂」は鶏(にはとり)の鶏冠(とさか)であり、直接に表現することを憚(はばか)り鶏を間接的にそう表現したものでしょう。幼い兒を鶏を運ぶように脇を抱えたのです。「或本歌曰」としてある、この歌に酷似した万213ではこの部分は「男自物」になっているわけですが、これはこの歌を記録した者が「鳥穂自物」の意味がわからず、意解し、そう書いたのでしよう。子供を脇にはさみ持つことが男じみている、いかにも男っぽい、とも思われない)。

 

◎「しもと()」

「しみおと(浸み音)」。振ると、身に浸(し)みるような音のするもの、の意。細い枝ですが、鞭(むち)にも用いる。それを振るうと神経に浸(し)みるような音がする。

「おふしもと(於布之毛等)この本山(もとやま)のましば(麻之波)にも告(の)らぬ妹が名かたに出(い)でむかも」(万3488:「おふ」は、生ふ、であり、「しもと」は細枝であり、「しば」は、柴、であろうけれど、「おふしもと」には、追ふ鞭(しもと:むち)、もかかっているということか、そんな切羽つまった思いでいるということ。そして「しば」には、しはぶき、の、風端(しは)、がかかる。「かたに出(い)で」は、占いに現れる、ということか)。

「枝條 ………和名衣太 木之別也……大枝曰幹 和名加良 細枝曰條 訓與枝同 ……葼…和名之毛止 木細枝也」(『和名類聚鈔』草木部・木具)。

「…いとのきて 短き物を 端(はし)切ると いへるがごとく しもと取る 里長(さとをさ)が声は 寝屋処(ねやど)まで 来(き)立ち呼(よ)ばひぬ…」(万892)。

「笞 ……和名之毛度」(『和名類聚鈔』調度部上・刑罸具)。

 

◎「しもつき(霜月)」

月暦十一月の称。五十音順で言うとこのあたりに古い月(十一月)の名「しもつき(霜月)」があるのですが、古代の月の名は「むつき(睦月)」の項でまとめられます。この語の語源は全体をまとめて考えないとわからない。