◎「しめ(占め・閉め・締め)」(動詞)

「しみいえ(浸み癒え)」。「しみ(浸み)」は動的に影響進行を受けること→「しみ(浸み・染み)」の項。「いえ(癒え)」は平安に安堵すること。(すくなくともその主体として)秩序が安定すること。たとえば「(ある特定の)野(の)をしめ(占め)」と言った場合、「を」は、目的を、ではなく、状態を表現する(→「を(助)」の項)。つまり、「Aが(ある特定の)野(の)をしめ(占め)→Aが(ある特定の)野(の)をしみいえ(浸み癒え)」と言った場合、それは、Aが「野」の状態で動的に影響進行を、浸透的影響を、受け、安堵する、秩序が安定する、という意味になる。Aはその野(の)の状態になり平安に安堵し秩序は安定する。Aはその野(の)、ということは、その野(の)はA、であり。他のBやCではなくなり、そうしようとするBやCの干渉があればそれは抵抗を生じさせたり排除されたりする。20世紀的な漢語で表現すれば、その野はAの占有(センユウ)になったのです。

漢字表記は、この「しめ」は「占め」「卜(シメテ)」といった書き方をしますが「占(セン)」「卜(ボク)」はどちらも占(うらな)いであり、古代、なにごとかをおこなうため施設など作る際、それをどこに作るか、占いで決めそこを占有した、ということでしょう。

以上が動詞たる「しめ(占め)」ですが、古代においては、ある限定地域の野(目的はそこに生い茂る茅花(つばな)など)にその占有を人に知らせる(近代的な言い方をすれば、公示、ということ)のため、杭(くひ)を立てたり、縄を結んだりといったことをおこなうことがあり、この公示表示物も「しめ(標)」といった。それを設けることは「ゆひ(結)」「たて」「さし(指・刺)」「はへ(延)」といった言い方をする。「ゆひ(結)」が最も多い。ちなみに、「しめなは(注連縄)」の「しめ」は、一般には「しめ(占め)」の連用形たるこの語と言われるます、そうではありません。これは「しみ(浸み・染み)」の他動表現。すなわち、それは占有を表現するわけではない→「しめ(浸め)」の項。この「しめ(占め)」には、事実上、自動表現はない。対象との動態関係は意思的であり、自動としてそうはならないということ。

・「しめ(閉め)」

たとえば「鍋(なべ)の蓋(ふた)をしめ」と言った場合、鍋(なべ)が「蓋(ふた)」の状態で動的に影響進行を、浸透的影響を、受け、安堵する、秩序が安定する、という意味になる。鍋(なべ)と呼ばれる器の体に空域があり、その鍋(なべ)が、その空域の縁(ふち)部分全体となる片の影響進行を、浸透的影響を、受け、安堵する、秩序が安定する。その空域がなくなり全体的器の体が完成するのです。「戸をしめ」は戸の状態で空域がなくなる。ことの空域がなくなることもある→「応募の締め切り」。自動表現はしまり(閉まり)」。

・「しめ(締め)」

たとえば「帯(おび)をしめ」と言った場合、帯(おび)が「帯(おび)」の状態で動的に影響進行を、浸透的影響を、受け、安堵する、秩序が安定する、という意味になるわけですが、これは帯(おび)の用途たる動的に影響進行を、浸透的影響を、受け、安堵する、秩序が安定する、帯たる用途が完成する、ということです。「手を握りしめ」の場合、手が手たる動的に影響進行を、浸透的影響を、受け、安堵する、秩序が安定する。まるで手が手となり、手が一体化するような表現です。自動表現はしまり(締り)」。

・つまり、「しめ(占め)」は主体と対象の動的影響進行が表現され、「しめ(閉め)」は対象相互の動的影響進行が表現され、「しめ(締め)」は対象自体の動的影響進行が表現されるということです。それらを生じさせる他動表現。

 

(占)

「『妾(やつこ)、葬(をさ)むる所(ところ)を知(し)らず、願(ねが)はくは良(よ)き地(ところ)を占(し)めたまへ』」(『日本書紀』:占)。

「山里ののどかなるをしめて、御堂をつくらせたまひ…」(『源氏物語』:占)。

「標(しめ)結ひて我が定めてし住吉(すみのえ)の浜の小松は後も我が松」(万394:占)。

「この人はた、いとけはひ(いと気配:気這ひ)ことに、………心深く………さまよきほどにうちのたまへる、いみじく言ふにはまさりて、いとあはれと人の思ひぬべきさまをしめたまへる人柄なり」(『源氏物語』:「さまをしめ」が、(誰もがそう認める)まったくそういう様子だ、という意味になる:占)。

「もはや床花の三両もしめてきたゆへ大の平気なり」(『傾城買四十八手』:自分のものにした:占)。

「『きゃつ、はつものをしめたな』『ヲヲヨ。おのしたちの口へ這入る物ではない』」(『座笑産』:これも「占」ですが、食べることを意味している)。

「独(ひと)り占(じ)め」、(ものごとがうまくいったとき)「しめた」(語頭を繰り返し、しめしめ)。

(閉)

「門(かど)しめてだまってねたる面白さ」(「俳諧」『炭俵』:閉)。

「幕をちょいとしめる」(『浮世風呂』:閉)。

(締)

「腹帯ヲ最モ慥(たしか)ニシメヨ」(『交隣須知』巻之三 鞍具:締)。

「Xime(シメ). uru(ムル). eta(メタ).  Apertar(締める).……………¶ Aburauo ximuru(アブラヲ シムル). Pazer azeite emprenssando, & esspremendo o gergehm,&c(胡麻などを圧搾して油を作る)」(『日葡辞書』:油を搾(しぼ)ることもそう言ったということ:締)。

「ふといやつだ。おれが念ごろしている女をよくしめやァがつた」(「咄本」『無事志有意』:浸透的影響を生じさせた、ということ。抱きしめたりもするでしょうが、物的にそうしたという意味ではない:締)。

「濱々(はまはま?)屠(しめ:読み仮名は原文にあるもの)たてを料理屋(ちやぶや)がにんじんと混雑煮(ごろさに)にして…」(『牛店雑談 安愚良鍋』貮(二)編下:原文の「濱々(はまはま)」の部分は「濱(はま)」に繰り返し記号が書かれているように読める。「はま(濱・浜)」には、見通しがよい、という意味があるが、見通しよく、ということか。「しめ」が動物の食用の屠殺を意味することがある。これは鶏(にはとり)などの首を捩じり締め即死状態にすることに由来するということか:締)。

「締(し)め括(くく)り」(「くくり(括り)」はなにごとかを独立した存在感をもって客観的に現すことですが(→「くくり(括り)」の項)、全体的浸透的影響によりそれが起こることが「しめくくり(締め括り)」。それはそのものごとの終了でもあり完成でもある:締)。

 

◎「しまり(閉まり・締り)」(動詞)

「しめ(締め・閉め)」の自動表現。「しめ(締め・閉め)」た状態になること。「しめ(締め・閉め)」はその項(上記)。

「緩(タユミ怠(オコタル)事(コト)無(ナ)ク務(ツトメ)結(シマリテ)仕(ツカヘ)奉(マツレ)ト詔(ノリタマフ)」(『続日本紀』:「閉(し)まりて」ではなく、「締(し)まりて」)。

「戸がしまる」「帯がしまる」「気持ちがひきしまる」。

「しまり」は「しめ(締め・閉め)」の自動表現たるそれと「しばり(縛り)」になるそれがある。前者は自動表現、後者は他動表現。