◎「しみったれ」
「しみヒンたれ(浸み貧垂れ)」。H音は退行化した。人格の本質にまで浸(し)み込んだ「貧(ヒン):貧(まづ)しさ」が滲(にじ)み出(で)、垂れるようであること。これは富者が貧者を見下し馬鹿にしているわけではない。貧者は貧であり、とくに印象に残る貧が垂れたりはしないのです。これは、たとえば祭りの寄付を少額づつ出し合ったような場合、富者が、非常なる富者であるにもかかわらず、他のつつましい生活をしている者たちと同額、さらには、金を惜しんでそれよりも少額の金しか出さないような場合に言う。形容詞で言えば「けちくさい」が意味が似、安っぽい、みすぼらしい、貧乏、いくじなし、といった意味にもなる。「しみたれ」とも言う。
「『ヱゝおめへまだ、そんな志ミつたれをいふハ。いまの銭(ゼニ)で蕎麦(そば)でも食ふべい』」(『東海道中膝栗毛』)。
「『アヽ、そんなら看板が破れた代りに、これ(浴衣)を着て行けといふのか。コレ、こんなしみッたれな半纏でも、屋敷の紋附き。これを着ては帰れねぇワ』」(「歌舞伎」『𢅻雑石尊贐(とりまぜてせきそんみやげ)』:「看板」は武家の小者などがもらった短い上衣。この歌舞伎題の「石尊」はインターネットでは「しゃくそん」と読むことが一般的になっているようですが、「せきそんごんげん(石尊権現)」のことでしょう。ここへ參ることが「大山参り」。「石尊(せきそん)さまが猪の熊の似づらを…」(『東海道中膝栗毛』:読み仮名は原文にあるもの))。
◎「しみに(繁に)」
この「しみ」は「しめ(占め)」の自動表現。「込め→込み」「詰め→詰み」のように生じた。間を占(し)めた状態で、ぎっしり、の意。「しみみに(しみしみに)」「しみらに」という表現もある。
「梅の花み山としみに(之美尓)ありともやかくのみ君は見れど飽(あ)かにせむ」(万3902:「飽(あ)かに」は「飽(あ)かぬに」。「飽(あ)き」は古くは四段活用。全体は、梅の花がみ山と繁(しみ)にあるとでもいうのか、君はそんなふうにしかおもえない、君をどれほど見ても飽くことなくしているのは。全体は倒置表現になっている。いわゆる係り結び)。
「枝もしみみに(思美三荷)花咲きにけり」(万2124)。
「大君の しきます国に うち日さす 京(みやこ)しみみに(思美弥尓) 里家(さといへ)は 多(さは)にあれども…」(万460)。