◎「しみ(浸み・染み)」(動詞)

「し」はS音の動感により浸透的影響進行・動態進行すること。活用語尾のM音「み」はそれが意思動態的なものであることを表現する。「しみ(浸み・染み)」は、動的に影響進行のあることが意思動態的に表現される。「香にいと深くしみたる紙」(『源氏物語』:香がしみた紙、ではない。香にしみた紙)。「なかなかに人とあらずは酒壺に成りにてしかも酒にしみなむ」(万343:酒が身にしむ、ではない。身が酒にしむ)。この表現が、対象Aが対象Bに浸(し)む(動的に影響進行を与える)、という表現が一般化していくにつれ、原意的「しみ」は、その主動的影響感を維持するため、否定に「ゐ(居)」が入り、それは「しまぬ」ではなく「しみゐぬ→しみぬ」になり、上二段活用動詞との混乱が起き連体形が「しむ」(四段活用)」ではなく「しむる」になったりもする。つまり、歴史的に、活用は四段活用です、と単純に言える状態ではないということです(21世紀では、否定形は「しまない」ではなく「しみない」、連体形は「しむ薬」ではなく「しみる薬」(上二段活用であれば「しむる薬」))、つまり上一段活用形が一般的でしょう)。たとえば「薬が傷にしみ」の場合と「染料が布にしみ」の場合では表現の主観性と客観性が異なるのです。「布にしみ」は客観的な動的進行が意思動態として認められているわけですが、「傷にしみ」は自分に動的進行が起こっていることが意思動態表現されている。

浸透的影響進行の原因となるものは色、匂い(香り)、味など、さまざまです。ものごとや人が影響を引き起こすこともある。たとえば芸事が影響を引き起こした場合、それが人々に深い感銘を与え沈黙させるようなことであれば、「しみ」は座が物音のない状態になったことを意味し、それが人を賑(にぎ)ははせるようなことであれば、「しみ」は座が笑いに満ちたような賑やかな状態になったことを意味する(つまり、「しみた」が必ずしもしんみりとした静かな状態になったことを意味するわけではない)。

「…しかるを、汝すがたは聖人(ヒジリ)に似て心はにごりにしめり」(『方丈記』:「しめり」は「しみ(浸み・染み)」に完了の助動詞「り」がついているもの。「しめり(湿り)」ではない)。

「『…。我が心ながら、いとかく人にしむことはなきを、 いかなる契りにかはありけむ』」(『源氏物語』)。

「君もさはあはれを交はせ人知れずわが身にしむる秋の夕風」(『源氏物語』:これは上二段活用形)。

「殊に教と云ものは、人の心に親くはしみぬもので………教への書物を見せるよりは………事実(ことのあと)の軍書を見たる方が、深く心にしみこんで………実のはなしが、身にしみじみと、髪も逆だち、涙もこぼれるほど、心に深く染(しみ)るものでござる」(『古道大意』(1824年):これは上一段活用形)。

「独身のころと違い、あの人も最近は言うことがすっかり所帯じみている」(言動に生活の苦労、家族を持つことの苦労が感じられる)。「そんなこと、気狂(きちが)いじみている」。

 

◎「しみ(凍み)」(動詞)

「しめゐひ(締め居氷)」の動詞化。凝固した氷の状態になること。つまり、しっかりと凍(こほ)ること。「しみこほり(しみ氷り)」という言い方もする。意味発展的に極度に冷却することも表現する。この動詞は上二段活用です。

「凍 シム」(『色葉字類抄』)。

「恥づかしく、かたじけなく、かたはらいたきに、朝夕、涼みもなきころなれど、身もしむる心地して、いはむかたなくおぼゆ」(『源氏物語』:身が縮み凍っていくような思いがした、ということ)。