「しめもれふり(締め漏れ振り)」。M音は濁音化しつつ「しぼるり」のような音を経、「しぼり」になった。「ふり(振り)」は、客観的対象に何かを(この場合は「もれ(漏れ)」という動態を)感覚的に感知させる情況にすること(「役をふる」)。この場合の「客観的対象」とは人一般であり、すなわち、漏れをふる、とは、漏れを現すこと。たとえば、水をしぼり、は、水を締(し)め(水に圧縮・圧迫を加え)漏(も)れを(微細な部分から何かが浸みだしているような状態を)現す。つまり、強制的に漏れさせる。圧縮・圧迫といった力を加えなければ排出されないそれを、力を加え強制的に排出させる。それが「(水を)しめもれふり(締め漏れ振り)→(水を)しぼり」。さまざまなものが絞(しぼ)られ、たとえば(牛の)乳をしぼり、(胡麻などから)油をしぼる。知恵をしぼる、は、あれこれと考えることが頭内を圧縮している印象になるから。それを圧縮させる印象から、弓をしぼり、という表現もある。弓を強くひくこと。たとえば雑巾の水を排出させる場合、(通常は両手でこれを握り捩(ね)じり)圧縮・圧迫を加えるのは雑巾に対してであり、その印象の直接さから、水をしぼる、とも言い得ますが、通常は、雑巾をしぼる、という言い方をする。圧力を加え発酵材料たる米から酒を排出させることは、米をしぼる、とも言いますが、多くは、酒をしぼる、という。雑巾の場合は布の水気をできるだけ除くことが目的であり、酒米の場合は排出される酒が目的であり、米は「かす(粕)」なのです。歴史的には、袖(そで)や袂(たもと)をしぼる、はひどく泣くことを意味する。涙を拭いそれが濡れるから。

「かたき皆帰て後、池より上がり、ぬれたる物共絞(しぼり)着て、泣く泣く京へ上(のぼ)りたれば憎まぬ者こそ無(なか)りけれ」(『平家物語』)。

「Xibori(シボリ), ru(ル), otta(オッタ).  Espremer(絞る).  ¶ Saqeuo xiboru(サケヲ シボル). Esbremer o vinho,ou o arroz que se saz em vino(酒または酒に変る米を絞る)」(『日葡辞書』)。