◎「しほ(塩・潮)」
「しほほ(し頬)」。「し」は口中における、染(し)み入るような感覚を表現する擬態。「しほほ(し頬)しほ→」は、その「し」の頬(ほほ)になるもの、の意。「しほほ(し頬)」はそうした口中感覚を表現し、何によってそうした感覚になったのかと言えば、海水です。すなわち「しほ」は海水を意味する。海水の動きも「しほ(潮)」と言う(→「しほどき(潮時)」)。さらに、その海水から水分が蒸発し海水中で「しほほ」をもたらしていたものも「しほ(塩)」と言う。
「二柱(ふたはしら)の神(かみ)天浮橋(あめのうきはしに)立(たたし)て、其(そ)の沼矛(ぬほこ)を指(さ)し下(おろ)して畫(か)きたまへば、鹽(しほ)許々袁々呂々(ここををろろ)に畫(か)き鳴(なし)て引(ひ)き上(あ)げたまふ時(とき)、其(そ)の矛(ほこ)の末(さき)より垂(しただ)り落(お)つる鹽(しほ)累(かさ)なり積(つも)りて、嶋(しま)と成(な)りき。是(これ)淤能碁呂嶋(おのごろじま)なり」(『古事記』)。
「此(こ)の鹽(しほ:塩)の盈(み)ち乾(ふ)るが如(ごと)く、盈(み)ち乾(ひ)よ」(『古事記』)。
「枯野(からの)をしほに焼き」(『古事記』歌謡75:「枯野(からの)」という名の船の材で塩焼きをおこない)。
「志賀(しか)の海人(あま)の一日(ひとひ)もおちず焼く塩(しほ:之保)のからき恋をも我れはするかも」(万3652)。
◎「しほたれ(塩垂れ)」(動詞)
「しほ(塩)」のように「たれる(垂れる)」ということなのですが、どういうことかというと、塩(しほ)は潮解性(大気中の湿気を含み溶解する性質)が強く、「しほたれ(塩垂れ)」はそうした状態になることです。つまり、濡れ、(力を失っていくように)溶けていき、液化していく。物(特に衣類)が「しほたれ」た場合、それはひどく濡れた状態になりますが、人が「しほたれ」た場合、人格や社会的あり方がぐしょぐしょと濡れ崩れたような状態になり、意気消沈し涙にくれていたり、ひどくみすぼらしい状態になっていたりする。
「しほり(霑り)」「しをり」、「しほれ(霑れ)」「しをれ」もそうですが、この「しほたれ」も「しをたれ」と書かれることがある。
「露霜にしほたれて、所さだめずまどひありき…」(『徒然草』:これは濡れること)。
「泣泣 シホタル」(『類聚名義抄』:涙にくれて泣くこと)。
「此人カ(が)頭ヲウチタレテ背カ(が)カカミテシホタレタナリハ老鶴雀ノアマサキノナリノヤウナソ 鶴雀トアルハ非ナリ。雀ノ字ハ鳥総号ニ云ソ。鶴雀ヲハ日本ノ諺ニハアマサキ(アマサギ:猩々鷺)ト云ソ…」(『四河入海』:意気消沈したみすぼらしい様子になっている)。