「しみふれゐ(滲み触れ居)」。これが「しぶる」になり「る」は退化した。滲み込み何かに触れているような違和感のあるあり方、それを生じるもの、の意。基本は、完熟していない、あるいは甘熟しない、柿を口に含んだ際の口中感覚を表現したものでしょう。その感覚を生じる柿から搾り取った汁液も「しぶ(渋)」と言い、それは防腐剤としてさまざまなもの(とくによく知られるのは団扇(うちわ)や傘)に塗られる。この語が語幹となった「しぶし・しぶい(渋し・渋い)」という形容詞はありますが、それは口中感覚を意味し、まったく気の進まない態度でなにごとかをする「しぶしぶ」、それを語幹とする、なにかをすることに抵抗をしめす動詞「しぶり」、や、金を出すことをいやがる、ケチ、を意味する「しぶい」の「しぶ」は厳密には別語(ただし柿渋の意味の「しぶ」が原意になってはいる→「しぶしぶ(渋渋)」の項)。「みしぶ」は「みしみふ(水浸み生)」。水に濡れると現れる垢のような汚れ。「みづあか(水垢)」とも言う。これは「かきしぶ(柿渋)」の「しぶ」ではない。「衣手に水渋(みしぶ)付くまで植ゑし田を…」(万1634)。
「当所のかきとり(柿取り)しふ(しぶ:渋)をしほる(絞る)也」(『山科家礼記』文明十二(1480)年六月廿(二十)四日 夕立:山科家は古い時代の藤原家に由来する家ですが、室町時代(戦国時代)には京都・山科(やましな)の地を所領とし、そこでは柿の渋も重要な産物であったらしい。上記にある「夕立」は渋とは何の関係もありませんが、原文にあったので書いておきます。京都・山科はその日、夕立があったらしい)。