「しひにをのもえ(強ひ丹(荷)を野燃え)」。「に(丹)」は赤色を意味する。この「に」には「に(荷)」の意もかかっているでしょう。「に(荷)」は負担。「を」は助詞ですが、状態を表現する。「しひにをのもえ(強ひ丹(荷)を野燃え)→しののめ」は、人になにごとかを強(し)いている赤色(そして負担)に野が燃え、ということですが、どういうことかというと、これは野が明るむことであり、夜明け、それも極めて早い早朝を意味し、何を強いているかというと、別れです(つまり、夜には二人でいたわけです。そして野は赤く燃え、わかれねば(帰らねば)ならない:帰ることが荷を負ったようにその足取りは重い)。この語は、夜が明けるころ→その朝焼けの空、の印象展開により、明け方の東方の雲も意味する。「東雲」という慣用的表記はこれの影響によるもの。「東雲(しののめ)引渡す比及(ころおひ)に…」(『椿説弓張月』:漢字の読みは原文にあるもの。これは雲が広がっている)。
「しののめの別れを惜しみ…」(『古今集』)。
「いにしへもかくやは人の惑(まど)ひけむ我(わ)がまだ知らぬしののめの道」(『源氏物語』)。
・一般に語義未詳と言われる「しののめ」という語がある。万2478と万2754の歌が問題になる。
「あきかしは(秋柏) うるわかはべの(潤和川邊) しののめの(細竹目) ひとにはしのび(人不顔面) きみにあへなし(君無勝)」(万2478:「あきかしは(秋柏)」は、秋か…、為(し)は…(秋だった…)、ということでしょう(この語は、一般に、樹木の柏(かしは)と解される)。「為(し)」は男と女のことがあった。「うるわがは」や「うるはがは」と呼ばれる川があったらしい。その川辺は小竹(しの)が生(お)うことが印象的であったらしい。この「うる」には水分を含んだ印象、水を感じる印象を(つまり涙を)表現する「潤(うる)」が、そして、心情が癒えることを言うこと、不満や不平を言うことを意味する「うる」(→「うる」の項・「うるたへ(訴へ)」その他のそれ)が、かかっている。「しののめの(細竹目・小竹之眼笶)」の「しの」は動態がただ一辺倒にそれだけになること、や、全身・全体が濡れることを表現するそれ(→「しの」の項・「心もしのに古(いにしへ)思ほゆ」(万266)その他のそれ)。「しののめ」は、そうした、動態がただ一辺倒にそれだけになり、全的に(涙に)濡れる、目(め)。そんな目が、人には(思いが知られぬよう)死んだようになり(「ひとにはしのび」)、「きみ」に対してはそれをまともに見ることもできない(「きみにあへ(堪へ)なし」。下記の万2754の場合は、忍(しの)ひて寝(ぬ)れば、あなたが夢に見える(その目にあなたが見える)。その2754の「あさかしは(朝柏)」は、朝か…為(し)は…(朝だった…)、ということであり、それは朝のことだったのです。なぜなら、それは夢だから)。
「あさかしは(朝柏) うるはかはへの(閏八河邊之) しののめの(小竹之眼笶) しのひてぬれば(思而宿者) いめにみえけり(夢所見来)」(万2754)。