◎「しなてる(枕詞)」
「しなとおへる(品程負へる)」。「とおへ」が「て」になっている。「しな(品)」は特起的価値や意味(→「しな(品)」の項)。「と(程)」は程度・程度の進行・進行したその程度を意味する(→「と(程)」の項)。「おへる(負へる)」は動詞「おひ(負ひ)」に完了の助動詞「り」のついたその連体形。「おひ(負ひ)」はなにかが客観的に存在感のある情況になっていること。すなわち、「しなとおへる(品程負へる)→しなてる」は、特起的価値や意味の程度を客観的に存在化させている(負担している)、ということですが、この語が「かた(形・型)」にかかる。ものであれ、人の動態であれ、「かた(形・型)」はその特起的価値や意味の程度の強さを、その高い意味や価値を、維持しようという努力で生まれ、そこにある、ということ。鳥の名「にほ(鳰)」にもかかる。これにかかるのは、この水鳥は潜水時間が長く、命懸けで特起的価値や意味、社会的評価(名誉)を、得ようとしている、ということ。「しなてるや」という表現もある。
「しなてる片岡山(かたをかやま)に飯(いひ)に飢(ゑ)て臥(こや)せるその旅人(たびと)あはれ…」(『日本書紀』歌謡104:この「旅人(たびと)」は聖人だった)。
「しなてるや鳰(にほ)の水海に漕ぐ舟のまほならねどもあひ見しものを」(『源氏物語』:「まほ」は、真帆、がかかっているわけですが、真秀、であり、そうではないということは、片秀(かたほ)、であり、不完全ということ)。
◎「しなの(信濃)」
「しなねを(品嶺尾)」。「しな(品)」は特起的意味や価値→「しな(品)」の項。「ね(嶺)」は横たわり独立存在的経過感を示すものであり、連山です→「ね(嶺)」の項。「を」は連続的に連なる山→「を(嶺・峰)」の項。「ねを(嶺尾)」は「をね(尾嶺)」といっても同意で表現できますが、「をね(尾嶺)」は山頂が線状に連なる山、「ねを(嶺尾)」はそうした連なりが幾重も重なる印象になる。つまり、「しなねを(品嶺尾)」は、「しな(品)」たる、特起的意味性や価値性のある(これはと思うような見事な)、幾重もの山岳の連なり、ということであり、「しなの(信濃)」と呼ばれた地はそういう地だということです。後の長野県です。
「信濃道(しなのぢ)は今(いま)の墾(は)り路(みち:最近ひらかれた路)刈刃根(かりばね:可里婆祢)に足踏ましむな沓(くつ)はけ我が背」(万3399:「しなのぢ(信濃路)」は主に木曽街道ですが、700年代初期に拓(ひら)かれ開通した)。
「東山國第五十四 ………信濃 之奈乃」(『和名類聚鈔』)。