「しねいら(為値高)」。「ねいら」が「ぬら」のような音を経、R音は退行化しつつ「な」になった。「しね(為値)」は、「し(為)」(していること:「し(為)」は一般的な動態表現)の「ね(値)」の意。「ね(値)」は影響であり、相互的影響であり、それは交換において現実化する。つまり、価(あたひ)や価値(かち)。それは行為における意味にもなる。「いら(高)」は、特起的に秀でている印象、そうした印象のものやことを表現する(その項・2020年3月24日)。すなわち、「しねいら(為値高)→しな」は、主体のその為(し)や、対象に現れるその為(し)の価(あたひ)・価値・意味(つまり値(ね))が特起的に秀でていること、秀でている印象のそのものやこと。たとえば土器がつくられた場合、それがありきたりな、誰もがつくり、どこにでもあるものである場合、それは「しな」にはならない。それが、そこになにか特起的な価値や意味が認められるものである場合、それは「しな」になる。また、その価値や意味にもその影響性の強弱の違いはあり、それは「しな」が高い、すぐれている、低い、劣っている、おくれている、といった評価の相対性を生じさせ、「しな」という語が評価の相対性を表現したりもする。すなわちたとえば「しなあり」が、格差がある、評価に違いのある位(くらゐ)・身分・地位があることを意味したりする。「人のしな」が家柄や族柄によってきまる社会的な評価を意味したり、その人の人間的な人間性の現れの評価を意味したりもする。「もののしな」も、ものの価値評価が原意ですが、価値あるもの、という意味で、「もの」の一般的美称のような用い方がなされ、とりわけ後世の交換経済の場ではその商品を「しな」や「しなもの」と言う。また、それがものごとに関して言われた場合、特起的に秀でた価値や意味のあるものごと・できごとはそうなった事情・理由、わけ、という意味にもなり(下記「浮世草子」『傾城禁短気』の例など)、具体的な人の動態に関し言われた場合、それは特起的に秀でた価値性や意味性のある動態であり、たとえば女が惚れた男の気を引くために「しな」をつくったりする(そうした効果を狙った特起的なしぐさなどを見せる。「しなをやり」という表現もある。「色をつくりしなをやれば…」(『本朝二十不孝』))。

「階段(カイダン)」を意味する「しな」という語がある。それはたしかにここでいう「しな」から生まれている語ではあるのですが、「しな」が直接に階段を意味するようになったわけではないでしょう(→「しな(階)」の項)。

・「途中」の意の「しな」

「(夕霧の)ものきよげなるうちとけ姿に、花の、雪のやうに降りかかれば、うち見上げて、しをれたる枝、すこし押し折りて、御階(みはし)の中のしなのほどにゐたまひぬ」(『源氏物語』:「階(はし)」は階段であり、その意味での「はし」は「しな」とも言いますが(→「しな(階)」の項)、「御階(みはし)の中のしなのほど」が、階段の中の階段のほど、を意味することは奇妙であり、この「しな」は「しな(品)」であり、それはものに関し言われ、「御階(みはし)の中のしなのほど」は、階段の、中の特起的に秀でた(階段としての)意味のあるあたり、ということであり、階段のちょうど真ん中あたり、ということでしょう)。

「時に帰りしなに(客の)男には物數いはずに、『花車(くわしや)さまさらば、ぬし様のこと頼みます』というて出て…」(『傾城禁短気』:この「しな(品)」は動態に関し言われ、「帰り」の特起的に秀でた動態としての意味のあるあたり、ということであり、「帰りしな」は、その途中、という意味になる。「寝しなにコーヒーを飲んで」なども寝るその途中。ちなみに、「花車(くわしや)」は揚屋(あげや)の女房や遊郭で女たちを管理する立場にある女。相当に年配の女であり、俗に「やりて婆(ばば)ァ」という。これを「はなぐるま」と読むとまったく異なった意味になる)。

 

「一切の物まね風体(フウテイ)は云事(いひごと)の品(しな)によりての見聞(ケンモン)也」(『花鏡(クヮキャウ)』:これは世阿弥による能論書ですが、能はまず謡による言葉が(たとえば、泣き、という言葉が)人にとどき少し遅れ演者の(泣く)仕草があるのがよいという。その「云事(いひごと)の品(しな)」によって人はさまざまなことを見たり聞いたりするという)。

「因(よ)りて物贈(ものおく)ること各(おのおの)差(しな)有(あ)り」(『日本書紀』:それぞれの身分や立場に応じて贈り物がなされた)。

「『…うらめしげなるけしきなど、おぼろけにて、見知り顔にほのめかす、いとしなおくれたるわざになむ』」(『源氏物語』:「見知り顔に」は、なれなれしく、遠慮した配慮なく、ということか)。

「『…人の しな高く生まれぬれば、人にもてかしづかれて、隠るること多く…』」(『源氏物語』:この(生まれで決まっている)「しな」は、血統や家柄など、その人に備わっている評価価値)。

「勘当(かんだう)して十八年、此世にながらへ有ならば、此度(このたび)の合戦に大将の御目に及ぶ程の高名(かうめう)せよかし。夫(それ)を品(しな)に勘当ゆるし…」(「浄瑠璃」『吉野都女楠(よしののみやこをんなくすのき)』:この「しな」は、ものではなく、ことを、出来事を、「しな」と言っている)。

「『…作助、是(これ)から山谷(さんや)にゆき盗みし品(しな)を語り、八百両を渡して来(きた)れ。…』」(「浮世草子」『傾城禁短気』:この「しな」は盗んだ品物を語れと言っているわけではない。この「しな」も出来事ですが、その出来事を語ることによりその事情や理由が語られることが期待されている)。