「しづおふけなし(鎮負ふ気無し)」。「しづ(鎮)」はその項(10月30日)。全体は、「しづ(鎮)」であろうとする気(け)がない、ということですが、「しづ(鎮)」の印象は重み、沈み、安定、といったことであり、それらであろうとする気(け)がない。すなわち、軽々しかったり、不安定であったりする。人やものごとのあり方に関しても言われ、髪や服装などに関しても言われる。たとえば着物がしどけなければ、着方が整っておらず、不安定に乱れたり崩れたりしている。「しどけなく語る」は、整然と安定的にまとまらず、不安定に語る。この語は、いいかげんだ、だらしない、と、それらであることに否定的・批判的に言われることもありますが、肯定的に言われもし、その場合は、自分を重々しくみせるため堅苦しくなったりしておらず、打ち解けた開放感、それゆえの豊かさ、が感じられる印象であったりする。
「『そそや、そそや。ことなりにたるべし。かかること(御産)はありなむと思ふところぞかし。われらがしどけなきぞかし』とて…」(『宇津保物語』:この「しどけなし」は、しっかりしていなかった、油断していた、といったような意味)。
「六条殿は、桜の唐(から)の綺(き)の御直衣(なほし)、今様色の御衣(ぞ)ひき重ねて、しどけなき大君姿、いよいよたとへむものなし」(『源氏物語』:この「しどけなし」は、ゆったりと余裕がある、といった印象。「綺(き)」は白糸に金糸や五色の糸などを織り交ぜた絹織物)。