「しづゑのとよあをさ(賤餌の響青さ)」。「とよあ」が「た」になっている。語尾の「さ」はなにごとかを指し示す。これは時鳥(ほととぎす)の異称ですが、「しづゑ(賤餌)」はそれが毛虫ばかり食べていることによる(ホトトギスは肉食性)。そして、そんなものばかり食べていながらその響き(鳴声)が初夏の青空を感じる爽やかなものであることを言ったもの。つまり、まずしいものを食べながら、口から出る響きは初夏の青空のようにさわやかだ、ということ。これが時鳥(ほととぎす)の異称として伝わった。そして、その原意は不明となり、この語は、歴史的には、「しで(為出)」→仕事に出る→(田へ出て)働け、と鳴く鳥、「たをさ(田長)」(田の仕事を管理する長)、「しで(死出)」(冥途に「しでのやま」という山があるそうです)といった意味にも解され、そういった意味のさまざまな歌も作られた。

「名のみたつしでのたをさはけさ(今朝)ぞなく(鳴く)庵(いほり)あまたとうとまれぬれば」(『伊勢物語』:この「しでのたをさ」は原意が生きているでしょう。私は「名のみたつ」、名だけの、「しでのたをさ」ではないのです、ということ)。

「いくばくの田をつくればか郭公(ほととぎす)してのたをさをあさなあさな(朝な朝な:毎朝)よふ(呼ぶ)」(『古今集』:この「しでのたをさ」は田のことをつかさどる長(をさ)の意で言われている)。

「これは夢かやあさましや 四手の田長のなき人の 上聞き(それに関することを聞き)あへぬ(抑えることのできない)涙かな」(「謡曲」『善知鳥(うとう)』:この「四手の田長(しでのたをさ)」は死の世界に関係している。まるで、死の世界にいるなにものかが、すべきなにごとかを訴え命じているような表現)。