◎「しづえ(下枝)」

「したゐえ(下居枝)」。(立っている樹木において)相対的に下にある枝(えだ)。幹の下の方に生えている枝。先端の成長部分の枝は「ほつえ(秀つ枝)」と言い、その中間の枝は「なかつえ(中つ枝)」と言う。

「香(か)ぐはし 花橘は 上枝(ほつえ)は 鳥居枯らし 下枝(しづえ:志豆延)は 人取り枯らし 三栗(みつぐり)の 中つ枝の ほつもり(本都毛理) あから(阿迦良)少女(をとめ)を…」(『古事記』歌謡44:「ほつもり(本都毛理)」は、秀(ほ)つ守(も)り、ということであり(「つ」は同動を表現する助詞→「時つ風」)、すぐれ、秀(ひい)での守られている、の意(この語は一般に、語義未詳、とされる)。「あから(阿迦良)」は、赤ら、ではなく、明ら、であり、日の光のような明るさのある、ということでしょう)。

 

◎「しつおり(倭文織)」

「しいつおり(為常織)」。この場合の「いつ」は、常、普段、を意味する(→「いつ(何時・常)」の項・2020年1月6日)。「しいつおり(為常織)→しつおり」は、いつもの、日常の、普段のやり方の織り物。外国(事実上、中国)から輸入される織物は、ありふれたものではなく、特別なものが輸入されるわけであり「しつおり」は、事実上、昔からある日本の普段着にされている織り、織物をいうことになる。「しつぬの(倭文織)」という語もあり、単に「しつ」とも言われた。また、その織物をもちいた幣(ぬさ)を「しつぬさ(倭文幣)」とも言う。「しづ」と濁音化もするが、その語は「しづ(賤)」(その項・10月30日)ではない。

「倭文連 倭文、此(これ)をば之頭於利と云ふ」(『日本書紀』:これは姓名の読みを書いたもの。全体は、しつおりのむらじ)。

「… ちはやぶる 神の社に 照る鏡 倭文(しつ:之都)に取り添へ 祈(こ)ひ祷(の)みて 我が待つ時に」(万4011:これは、逃げてしまった大切な鷹が戻っては来ぬかと祈りつつ待っている)。

「玉たすき 懸けぬ時なく わが思へる 君によりては 倭文(しつ)幣(ぬさ)を 手に取り持ちて 竹珠(たかだま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂れ 天地(あめつち)の 神をぞわが乞(こ)ふ いたもすべなみ」(万3286:「こふ(乞ふ)」は原文が「乞」と書かれているのでそのまま書きますが、この語は「祈ふ」とでも書くと妥当な語(→「かみ(神)」の項・2021年6月13日))。