「しとはひ(為程葉日)」。「し(為)」は動態が有ること。「と(程)」は、程度、それゆえの、あることがらの限界、を意味する(→「と(程)」の項)。「しとはひ(為程葉日)→したひ」、すなわち、ある程度を迎えた、ある限界を迎えた、葉(は)の、日(ひ)、とは、限界を迎え、時期を迎え、葉が日のようになること、です。この語は、相当に古い時代の、紅葉(もみぢ)・黄葉を意味する語でしょう。この語はそのまま動詞化もしている。
「兄は秋山之下氷壯夫(あきやまのしたひをとこ)と號(なづ)け、弟は春山霞壯夫(はるやまのかすみをとこ)と名(な)づけき」(『古事記』)。
「秋山のしたひ(舌日)が下に鳴く鳥の声だに聞かば何か嘆かむ」(万2239:ある人(女性)への思いが限界を迎え山が燃えるように燃えているということ)。
「秋山のしたへる(下部留)妹(いも)…」(万217:動詞「したひ」に完了の助動詞「り」がついている。つまり、「したひ」が動詞化している)。
「したひ(下檜)山(やま) 下(した)ゆく水の 上に出でず 我が思ふ情(こころ) 安きそらかも(安虚歟毛)」(万1792:「安きそらかも」は、「か」は疑問、「も」は詠嘆であり、安らかになにごともない状態でなどいられようか(いや、そうはいられない)ということでしょう)。