「しひとはし(廃ひ「と」愛し)」。「しひ(廃ひ)」は無機能化すること(その項)。「と」は思念的に何かを確認する。つまり助詞の「と」として現れているそれ。「はし(愛し)」は感嘆すること(その項)。「しひとはし(廃ひ「と」愛し)→したし」は、無機能化している「と」に、「と」が無機能化している情況に、感嘆している。どういうことかというと、たとえば「Aと居る」「Aと遊ぶ」と言う場合の「と」が無機能化しており、Aとの関係が「~と」と客観的に確認される状態ではなくなっている、ということです。「Aと居る」「Aと遊ぶ」ということが無機能化しているのではありません。Aと居ながら、Aと遊びながら、「~と」が無機能化している。そうした関係が「しひとはし(廃ひ「と」愛し)→したし」。この語の語幹が語幹となった「したしみ(親しみ)」という動詞もある。

「初めて使(つかひ)を遣(つかは)して相通(あひかよは)して、厚く親好(したしきむつび)を結べり」(『日本書紀』)。

「『親しきほどに(親しいので)、かかるは、人の聞き思ふところもあはつけき(配慮がなく軽率な)やうになむ』」(『源氏物語』:この部分、親しい者どうしが夫婦仲になるなんて軽率だ、のような言い方なのですが、ようするに、「~と」の関係のない、同母から生まれ同じ家で暮らしている者どうしのようなものが、ということなのです(名家のAと名家のBが結婚するぞ、のような華やかさもない。ただし、それは建前で、真の反対の理由は他にありそうです))。

「したしき者、老いたる母など、枕上(まくらがみ)に寄りゐて泣き悲しめども…」(『徒然草』)。

「…然りと云へども、親しく仏を見奉れるに依て諸(もろもろ)の生死の罪を滅しつ」(『今昔物語』)。