「したケイ(下計)」。「けい」のE音とI音の連音がU音になっている。「した(下)」は、「人の努力やものごと相互の関係においては時間的関係が加わり、そのものごとの基礎となっている時間的にその前の努力やものごとが「した」になる(→「したがき(下書き)」「したみ(下見)」「したジュンビ(下準備)」(→「した(下)」の項・10月13日)ということ。「計(ケイ)」は『説文』に「會(会)也。筭(算)也」とされる字(「會(会:カイ)」は「合也」とされる字)であり、この「計(ケイ)」という語は日本では「はかり」であり、思考的・知的努力をすることを意味する。すなわち、「したケイ(下計)→したく」は、ものごとの基礎となっている時間的にその前の努力やものごとに関する思考的・知的努力、であり、これからあるであろう、あると思われる、出来事を想い、それへの対応として必要なことを想い、その実現化も起こる。それが「したく(支度)」。つまり、「したジュンビ(下準備)」と同じような意味。それをおこなうことは通常は「したくし(支度し)」と言い、漢字表記は慣用的に「支度」と書く(「仕度」とも書く)。
「石つくりの御子は心のしたくある人にて…」(『竹取物語』:(かぐや姫の心をとらえる、これならば、と思うような)ある計画のある人、のような意)。
「…彼の兵者(つはもの)…………其の家に行て、隠れて居たりける。……………放免共(もと罪人たち)は、努々(ゆめゆめ)此の事を知らずして、只偏(ひとへ)に仲人(相手とのなかだち)の男を憑(より?)て、夜打深更(ふく)る程に、其の家に行て門を押せば、男、支度したる事なれば、行て門を開るままに、走り返りて、板敷の下に深く這入ぬ」(『今昔物語』:心の準備はできていたので、のような意)。
「(仏を作った報酬としてもらえるはずの)その物はかのことにつかはん かの物はそのことにつかはん としたくしおもひける程に…」(『宇治拾遺物語』)。
「旅行のしたくをする」。「身(み)じたくを整える」。
漢字表記の「支度」は当て字なのですが、これは現実にある「支度(シド・シタク:「タク」は漢音。「ド」は呉音」。「支」は『古事記』や『万葉集』などで「き」と読んでいますが、それが古音でしょう)という漢語に影響されている。漢語の「支度(中華人民共和国音は、チードゥー)」は、原意は、分岐量、であり(「支」は、分、「度」は、計)、これが計量することや計算することを意味する。つまり「シタク(支度)」という漢語はあり(『廣韻』の「支」の説明に「支度也 支持也」とある(一般には、日本語の「したく」はこの中国語とされている)。ただし、21世紀の中国においては、たぶん、「支度(チードゥー)」という語は用いられていないでしょう)、歴史的にはその漢語の意味で用いられた「したく」もある。「一日に食ふ所五百四十九斛(コク)なり。此を以て支度するに、一度の運ぶ所、わづかに十一日を支ふ」(『続日本紀』)。『日本書紀』では「支度」を「おきて(掟)」と読んでいる(雄略天皇二十三年秋七月))。「おきて(掟:置き手)」は(世に)置かれた人や社会のあり方、とうことですが、ここでは特に年貢に関する負荷割り当て配分を考え決定することが「支度」になり、それが「おきて」と表現されている。