◎「しだ(時)」
「しつとは(為つと葉)」。「つ」は完了の助動詞。「と」は思念的に何かを確認する助詞。「は(葉)」は時間を意味する→「はは(母)」の項。「した(為た)」たる、「した(為た)」とある、時間、とは、「そのとき(その時)」・その際(サイ)、のような意です。
「吾(あ)が面(おも)の忘れむしだは国(くに)溢(はふ)り嶺(ね)に立つ雲を見つつ偲(しの)はせ」(万3515:嶺に夏雲が立つ。それが私のあなたへの思いですということです)。
「等保斯等布 故奈乃思良禰爾 阿抱思太毛 安波乃敝思太毛 奈爾己曽與佐禮(とほしとふ こなのしらねに あほしだも あはのへしだも なにこそよされ)」(万3478)。この歌の読みと歌意ですが、これは、「遠(とほ)しと追(お)ふ 子(こ)な(愛称のような、な)の為苛音(しいらね)に 会(あ)ほ(会ふ)時(しだ)も 会(あ)はのへ(会うはない)時(しだ)も 汝(な)にこそ寄(よ)され」ということでしょう。追う何かが「遥かに遠い」という印象のあなたの為苛音(しいらね)に…。「為苛音(しいらね)」は何かにいら立っているような音(ね)・声の響き。これは性行為によるもの。「あほ(会ほ)」は古代東国における「あふ(会ふ)」の地方的変化。「あはのへ(会はのへ)」は「あはぬ(会はぬ)」の古代東国的表現「あはなへ(会はなへ)」(連体形)のさらにその変化。最後の「よされ(寄され)」は「よさり」の已然形ですが、「よせあり(寄せあり)」(引き寄せがある。引き寄せられる)が動詞化しているということでしょう。会っているときも、会っていないときも、遥か彼方に何かを追い求めるようなお前の「為苛音(しいらね)」に引き寄せられる、そんな女はお前しかいない、ということです。ただし、この歌は一般にはそのようには読まれてはおらず、解されてもいない。一般の読みは、「遠(とほ)しとふ(と言ふ)故奈(こな)の白嶺(しらね)に逢(あ)ほしだも逢(あ)はのへしだも汝(な)にこそ寄(よ)され」(万3478)。歌意は、遠いという故奈(こな)の白嶺(しらね)に逢う時も逢わない時もあなたに寄せられていると噂が立っている、あるいは、遠い故奈(こな)の白嶺(しらね)のようになかなか逢えないあなた逢ったときにも逢わないときもいつも噂を立てられる。つまり、「とふ(等布)」は、~と言ふ、であり、「故奈乃思良禰(こなのしらね)」は、具体的にどこかは不明だが、地名であり、最後の「よさり(寄さり)」は噂をたてられること。「よさり(寄さり)」がそのように解されるのは、社会的・世間的な印象になることを意味する「よそり」という動詞の影響でしょう。
◎「した(舌)」
「しとは(湿端)」。「しと」は、濡れている印象、それも、表面に水分が付着しているだけではなく、内部にまで水分が浸透している印象、を表現する擬態。濡れている平面的部分的な印象のもの、の意。口腔内の肉質器官です。
「舌 ……之多」(『和名類聚鈔』)。
「『舌(した)の本性(ほんじやう)にこそははべらめ。……………いかでこの舌疾(したど)さやめはべらむ(なんとかこの舌疾さをやめたい)』」(『源氏物語』:「舌(した)疾(と)し」は早口であること)。