「しひとら」。語尾のR音は退行化している。

語頭の「し」は「為」であり、S音とI音により動態進行を表現する。情況的動態進行であり、動態一般の進行。

「ひ」はH音とI音の感覚的な進行感が求心的な自縮的進行感を表現する。「ひき(引き)」「ひき(低)」にある「ひ」。

「と」はなにごとかを思念的に確認し(「と(助)」の項)、

「ら」は情況、なんらかの情況にあるもの・ことを表現する。

すなわち、「しひとら→した」とは、情況的に自縮動態進行していると認められるもの・こと、ということ。この語は、たぶん、原意的には、親子や、ある親から生まれた複数の子相互の生活・成長体験とその幼児記憶に由来するものでしょう。すなわち、生まれた子供は親よりもはるかに小さく無力であり、その生育の過程でも親の生態や意思が絶対であり、子の生態や意思は自縮状態になる。同じ親から生まれた複数の子相互においても先に生まれた子は後に生まれた子より大きく強い。子や後に生まれた子は親や先に生まれた子に対し主観的にも客観的にも「しひ」たる自縮動態が進行している(BがAの「した」ならBがAの影響下の自縮状態にあるということはBはAに従属的な関係にあるということでもある)状態になる(→「としした(年下)」)。この表現が客観的なもの相互の関係にも言われ、自由意思的なもの(A)と、それと意思自縮的関係にあるもの(B)がある場合、BはAの「した」になる(→「したじき(下敷き)」)。Bが何もない単なる空間である場合もBは「した」になる(→「机のしたに隠れる」)。もの自体においては、そのものが地球表面にある場合、そのもののより地球中心に近い部分が「した」になり、遠い部分は「うへ(上)」になる(なぜ遠い部分が自由意思的になるのかと言えば、その部分は、他の部分にくらべ、地球の引力状態と戦い、勝利し、自由を得ているから)。人の努力やものごと相互の関係においては時間的関係が加わり、そのものごとの基礎となっている時間的にその前の努力やものごとが「した」になる(→「したがき(下書き)」「したみ(下見)」「したジュンビ(下準備)」。「したどり(下取り)」も購入の前提準備)。ものごと自体においては今現れてはいないがその基礎としてあると思われるなにごとかが「した」になったりする(→「したごころ(下心)」)。もの(人)自体において物的にもそれは言われ、衣服の、表面に現れている衣服とは別の、より内部(身体に近い部分)の服が「したぎ(下着)」と言われ、足先部分では「くつした(靴下)」(古くは「したぐつ(下靴)」と言った)と言う。動態自体の自縮性も言う(→「したび(下火)」「したでにでる(下手に出る)」)。身分や地位などの社会的関係その評価、社会的作用に関しても言いその評価にある者も言う(「カクした(格下)」「てした(手下)」)。

この「した(下)」という語は「うへ(上)」と対(つい)になりますが、「うへ(上)」はものやことの遊離した動態感・発生感の経過を経た情況にあるものやことを意味する。ものやことの現れたるその表面です。この「うへ(上)」が対象たる点の地球中心点から地球表面へ向かう方向の点を意味するのはそれが遠心的表面の印象のある方向だから。古くはこの「うへ(上)」には「うら(裏・心)」が対応しましたが、のちにはもっぱら「した(下)」が対応するようになる(古くは「うらうへ(裏上)」が対(ツイ)表現でしたが、のちには「うへした(上下)」が対(ツイ)表現になる。「うら(裏)」は「うらおもて(裏表)」が対(ツイ)表現になる)。

 

「邑(むら)の中(なか)に龜(かはかめ)を獲(え)たり。背(せ)に申の字を書(しる)せり。上(うへ)黃(き)に下(した)玄(くろ)し。長(なが)さ六寸(むき)許(ばかり)」(『日本書紀』:これは後の「壬申の乱」(672年)の伏線として書かれた一文と言われている。中国の文化では天が玄(※)で地が黄(黄河流域の黄土)なのですが、この亀はそれが逆になっている。※『説文』の「玄(ゲン)」の説明は「幽遠也。黑而有赤色者為玄」)。

「我が屋前(には)の萩の下葉(したば)は秋風もいまだ吹かねばかくぞもみてる」(万1628:この「~ねば」は逆接。「もみつ」は紅葉することを表現する動詞)。

「吾が背子は仮廬(かりほ)作らす草なくは小松が下の草を刈らさね」(万11:この歌は老いた斉明天皇(中皇命)が幼くして亡くなり「黄泉(よみ)」への旅路にある建王(たけるのみこ)を想っている歌。幼い子が(旅の宿りにする)小さな仮廬(かりほ)を作っているさまを思い、可哀そうでならず、その想いにおいて手伝ってやっている)。

「綾垣(あやかき)のふはやが下(した)に……栲衾(たくぶすま)さやぐが下(した)に 沫雪(あわゆき)の 若やる胸を…」(『古事記』歌謡6:「ふはや(ふは屋)」の「ふは」は軽さや柔らかさを表現する擬態)。

「忘れ草吾が下紐(したひも)に著(つ)けたれど醜(しこ)の醜草(しこくさ)言(こと)にしありけり」(万727:この「した(下)」は「したぎ(下着)」と同じ用い方であり、「したひも(下紐)」はその意味で下で結んでいる紐。「しこ(醜)」に関してはその項)。

「白栲(しろたへ)の我(あ)が(安我)下衣(したごろも:之多其呂母)失はず持てれ我が背子直(ただ)に逢ふまでに」(万3751:「ゴ」は「其」の呉音。「もてれ(毛弖禮)」は「もち(持ち)」に助動詞「り」のついた「もてり(持てり)」の命令形。そうは言っていますが、ようするに、私と一緒にいると思って着ていてくれということでしょう)。

「…思ひぞ焼くる 我が下心(したごころ:下情)」(万5:この「したごろ(下心)」は、後世で言われるような、隠した狙いや意図、という意味ではなく、自縮した、社会的に無機能化しているような、つまり、他の人に知られていない、心(こころ)たる思い・心情)。

「鮪(しび)衝(つ)くと海人(あま)の燭(とも)せる漁火(いざりび)の秀(ほ)にか出ださむ吾が下思(したも)ひ(下念)を」(万4218)。

「…うら泣けしつつ 下恋(したこひに:思多恋爾)に 思ひうらぶれ 門(かど)に立ち 夕占(ゆふけ)問ひつつ 吾を待つと 寝(な)すらむ妹を…」(万3978)。

「しかれこそ(そうだからこそ)………この川の 下(した)にも長く 汝が情(こころ)待(ま)て(あなたの心を待っていた)」(万3307:この「した(下)」は、こころ(心)、とほとんど意味が変わらない。その奥底のような意)。

「あすか川下(した:之多)濁(にご)れるを知らずして背(せ)ななと二人さ寝て悔(くや)しも」(万3544:「背(せ)なな:勢奈邦」の最初の「な」は親しい二人称のそれであり、「せな」は、背(せ)たるあなた、ということ。次の「な」は、妹(いも)や夫(せ)などに親愛をこめた愛称のようにつく「な」(→「な(愛称)」の項))。

「物思ふと人には見えじ下紐の下(した)ゆ(思多由)恋ふるに月ぞ経にける」(万3708:この「した(下)も、(人に知られぬ)心の奥底、のような意)。

「恋にもぞ人は死にする水無瀬河(みなせがは)下ゆ(下従)我れ痩す月に日に異に」(万598):「みなせがは(水無瀬河)」は表面上、水流の見えない、あるいは見えにくい、川でしょう。誰にも知られぬ思いで痩せる)。

「さ百合花ゆりも逢はむとしたばふる(之多波布流)心(こころ)しなくは今日も経めやも」(万4115:「したばふる」は「したばへ(下延へ)」(誰にも知られていない心の奥底で思いが情況全体化するように成長していく)の連体形)。

「大君は神にしませば天雲の五百重(いほへ)が下に隠りたまひぬ」(万205)。

「この照らす 日月(ひつき)の下(した:斯多)は 天雲の 向伏(むかふ)す極(きは)み たにぐくの さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ」(万800:「たにぐく」はその項)。

「(源氏の)知り及びたまふまじき おさめ みかはやうど まで、(源氏の)ありがたき 御かへりみの下(した)なりつるを…」(『源氏物語』:「御かへりみの下(した)」は(源氏の)保護的配慮のもとにある、ということ。「みかはやうど」は、御厠人、であり、厠(かはや)関係の仕事をしている人ですが、「おさめ」は、御餐女(おサンめ)、であり、食事(食べ物)関係の仕事をする女でしょう)。