(これは「し(死)」の項・8月23日に書かれたことの再記になります)
この「しせ」(動詞)」の「し」は「しり(領り)」のそれであり、動態進行・動態浸透を表現し、影響を及ぼし影響下におくことを表現する。活用語尾の「せ」は、「より(寄り)」(自動)・「よせ(寄)」(他動)、の「せ」にも働きが似ているものであり、この「しせ(領せ)」は「しり(領り)」の他動表現であり、それも使役型他動表現であり、それも、支配することをさせる、という意味の使役ではなく、「し」で表現される、影響を受けることをさせる、という意味の使役型他動表現であり、影響を受けることをさせる、とは、影響の主体として表現すれば、支配する、ということです。「Aをしせ」は、Aを「し(領)」の動態進行・動態浸透状態にさせる。その浸透的影響下におく。
『古事記』歌謡3にある「命はなしせ(那志勢)給ひそ」は、命を支配し我がものとするようなことはなさらないでください、ということ。
『古事記』歌謡23にある「己(おの)が緒(を)を盗(ぬす)みしせむと(斯勢牟登)」も、盗み我がものにしようと、ということ(『古事記』歌謡23と同じような歌が『日本書紀』歌謡18にある(そこでの表記は「志齊」))。
『日本書紀』崇峻天皇五年十月に「蘇我馬子宿禰(そがのうまこのすくね)、天皇(すめらみこと)の詔(みことのり)したまふ所を聞きて……天皇(すめらみこと)を弑(し)せまつらむと謀(はか)る」と読まれる部分がありますが、この「弑(し)せ」も支配することを意味し、それにより、間接的に、命を奪うことを表現し(※)、それを「~まつり」で謙譲表現している。つまり、支配させていただく→殺す、ということ。※ 「弑(シ)」の字は、(とりわけ、臣が君を)殺すこと。これは、「殺」とも書く、とも言われる字。
この『古事記』歌謡3その他にある「しせ(志勢・斯勢)」という語は、一般に、死なせる、殺す、の意と解されている。つまり、そういう動詞があるとされ、それは「しに(死に)」の他動表現だと言われている。これは、「いに(去に)」の他動表現に「いせ」が現れるようなものであり、ありえない。
漢語「弑(シイ):意味は、殺すこと」に動詞「し(為)」のついた「シイし(弑為)→しし(終止形、しす)」という表現は、後世、ある。