「ししみま(為締み間)」。「しみ(締み)」は「しめ(締め)」の自動表現。動態が収縮した間(ま)、ということですが、期待的に動態がある。しかし、それが収縮し、膨張しない。期待的に意思活動がある。しかし、それは収縮し現れない。意思活動とは言語表現です。言葉がなく、ただ沈黙している。そうなった間(ま:時空域)、それが「しじま(黙)」。無言。沈黙の間(ま)。
「幾(いく)そたび君がしじまに負けむらむ」(『源氏物語』:どれほどあなたの沈黙に負けてしまったことだろう)。
「うき身にはしじまをだにもえこそせね思ひあまれば独りごたれて」(『拾玉集(シフギョクシフ)』)。
「夜のしじま」という表現もありますが、これもただ静かなのではなく、沈黙してしまっている時空域です。「しじまの鐘(かね)」は、それを打ち、騒ぎたつ人々を制し沈黙させる鐘。