◎「しくじり」(動詞)

「しくづしいり(為屑為入り)」。「しくづ(為屑)」は、動態や努力の屑(くづ)ということであり、動態や努力が全くなんの意味も価値もない廃残物のようなものであること。「~いり(~入り)」は、まったくなんらかの動態になること。全くなんの意味も価値もない廃残物のような動態や努力に「しいる(為入る):まったくそれをする状態になる」とは、それまでの、今までの、動態・努力がすべて無駄・徒労であり、すべてそれが廃物となり、何の意味も価値もないものになった状態になること。

たとえば幇間(たいこもち)が、贔屓(ひいき)にされ座敷にもよく呼ばれていた旦那の機嫌をそこね、呼んでもらえなくなったり、職人が、仕事をよく世話してくれていた親方の信頼を失い仕事の世話をしてもらえなくなったりすることなども「しくじり」と表現する。

「其次に野呂まがしくじったもんだから…」(「滑稽本」)。

「親方の金をちっとばかりつかひこんだといふことだ。………しくじるはあたりまへだが…」(『東海道中膝栗毛』)。

 

◎「じくね」(動詞)

「ジクにいえ(自救に癒え)」。「ク」は「救」の呉音。全体の意は、自分が救われることに安堵している(自分を救うことに安堵している)、ということ。他への配慮がなくなっている。

「じくねたらば かたっぱし海へとっぱめ鯨の餌食となすべきぞ」(「浄瑠璃」)。

「ぢくね」とも書かれますが、これは「ヂク(軸)」の影響であろうか(軸(ぢく:芯)がうねている(うねうねしている、しっかりしていない、というような)。

「さて昨日天道様がぢくねましたゆゑ、小屋がしめって居りますから」(「歌舞伎」:これは、お天道様がこちらのことを考えてくれなかった、というような言い方)。