「なんのこれしき」などの「しき」。「しひきゐ(為引き居)」。H音とW音は退行化した。語頭の「し(為)」は故意的、意思的であることを表現する。「しひきゐ(為引き居)→しき」、すなわち、故意的、意思的に引いている居(ゐ)、とは、たとえば「我(われ)しき」の場合、私は私を引いて低く居、ということであり、私のごとき、のような、謙遜表現になる。対象を、たとえば「それしき」と表現した場合、それは意思的に引いて低くあると認められる、ということであり、「それ」を軽んじ見下した表現になる。

「吾等式迄、御目出之由奉存候」(「上杉家文書(土佐林氏慶書状・永禄十二年閏五月五日):『大日本古文書』家わけ十二ノ一」:「吾等式(我らしき)」。これは自己謙遜)。

「儕(おのれ:お前)しきぶち放すのも刀の穢れ…」(「浄瑠璃」『新版歌祭文』:これは、お前ごとき、のような表現であり、相手を軽んじ見下した表現)。

「Xiqi.  Hüa particular que ʃe ajunta a algüs pronomes como Varera, & Xexxa(特にVarera(ワレラ)やXexxa(セッシャ)などに追加される辞) .  i, EM, falã do haixamente de si como quem dißese, hum tal como cu, &c(自分を謙遜し卑しい者のごとく言う). Vt, Vareraxiqi(ワレラシキ).  ¶Corera xiqi(コレラシキ).  Eʃtas couʃas, ou deʃta laya(これらのことこの種」(『日葡辞書』:このアルファベットは必ずしも原文通りではない)。