S音の動感とI音の進行感による「し」により進行的な動感が生じること、この「し」は客観世界への影響動態であって、動態主体に起因する風の擬音たる「し」といってもいいような「し」。進行的な動感が影響を及ぼすことを表現する。対象Aをもって対象Bに進行的・浸透的な動感を生じさせた場合→「布団を敷く」(布団(A)をもって家・畳その他(B)に)。これは物を影響させる。「国(B)に法(A)を布(し)く」。これは「法」による抽象的影響。ただ対象に一般的に進行的・浸透的な動感を生じさせること、進行的・浸透的に影響を及ぼすことが表現されることもある→「天皇(すめろき)の領(し)きます国」(万4122)。賃貸借契約の場合に借主から貸主に入れられる「しきキン(敷金)」というものがある。これは借主が賃貸物に浸透的影響を及ぼすということ。これは、将来、もし賃料の不払いなどあった場合、それを賃料にし、賃料債務を担保するわけですが、逆に言うと、敷金を入れているのだから多少賃料の不払いがあっても、家など、明け渡す義務はない、ということにもなる。古くは、嫁入りの際の、いわゆる「持参金」が「しきがね(敷金)」と言われたりもした。交通事故の際、21世紀では「車にひかれ(轢かれ)」が一般的な言い方でしょうけれど、古くは「車にしかれ」と言った。この「ひかれ」は、(「線をひく」のそれのように)直線的進行をされ、ということでしょうけれど、この「しき」は、「尻にしく」のそれのように、下敷きにする、という意味でしょう。

 

「葦原のしけしき(粗末な)小屋(をや)に 菅畳(すがたたみ) いや清(さや)敷(し)きて(斯岐弖) わが二人寝し」(『古事記』歌謡20)。

「堀江には玉敷(し)かましを(之可麻之乎)大君を御船漕がむとかねて知りせば」(万4056)。

「故(かれ)、能(よ)く、世(よよ)玄(はるかなる)功(いたはり)を闡(ひろ)め、時(とき)に至(いたれる)德(うつくしび)を流(し)く」(『日本書紀』崇神天皇四年十月:この部分、南北朝期の読みでは「功」が「いさをし」、「德」が「いきをい」と読まれたりしている)。

「天皇(すめろき)の しきます(之伎麻須)国の 天(あめ)の下 四方(よも)の道には…」(万4122)。

「Xicare, ruru, eta.  Paßiuo de Xiqi, u(シキ、ク、の受け身?).  Ser opprimido, ou pisado de baixo de algüa cousa(圧されること、または何かの下で踏まれること). Vt. Curuma, ixi, nadoni xicaruru(クルマ、イシ、ナドニ シカルル). Ser pisado, ou opprin. ido dalgum carro, pedra, &c(車、石などに踏みつぶされる)」(『日葡辞書』:「車にしかれ」と言っている。「車にひかれ」は車がエンジンで自動推進することが一般化した後のことなのかもしれません。『和英語林集成』(1867年)にも、車にしかれる、はあるが、ひかれる、はない)。