「しか(然)」は想的に完全にものごとを得た状態になることですが(→「しか(然)」の項・9月3日)、「も」は、詠嘆的なそれであり、完全に得られたものごとが詠嘆的に思われる場合と、「も」で何かが思われ(→「も(助)」の項)、それは想的に完全なものごとを得た状態になりなにごとかが思われる、ということであり、ものごとの把握に充足が生じつつなにごとかが思われ、充足への裏切りが表現される場合がある(こちらの表現は漢文訓読系の表現のようです)。それは、肯定されること、よいことへの裏切りであることもあれば、否定されること、よくないことへの裏切りであることもある→「現地へ行ってみたら、その土地は、自然も荒廃し、社会的環境も悪く、しかも値段は高かった」・「現地へ行ってみたら、その土地は、自然は豊かで美しく、社会的環境も良く、しかも値段は安かった」。
「とどめあへず むべもとしとはいはれけり しかもつれなくすぐる齢(よはひ)か」(『古今集』:「とし」に、年・齢(とし)、と、疾(と)し(はやし、するどし)、がかかっている。この「しかも」は、たしかにそのようにもまぁ、のような、詠嘆的な「も)。
「実に拠りて而(しか)も言といふは具(つまびらか)に内院を造る」(『弥勒上生経賛』:実に根拠があり、想的に完全なものごとを得た状態になり、それとあり「言」(「実」に拠(よ)っていて「言」)。そういうそれはつまびらかに(すみずみまで明瞭に)…。「内院を造る」は現実たる弥勒の言語空間となる、ということでしょう。これは充足への裏切り系の表現)。
「ゆく河のながれはたえずして、しかももとの水にあらず」(『方丈記』:これも充足への裏切り系の表現)。
『万葉集』に「三輪山をしかも(然毛)隠すか雲だにも情(こころ)あらなむ隠さふべしや」(万18)という歌がありますが、この「しかも」は「しかみを(然見を)」(「を」は状態を表現する)でしょう。確かに見るそのように、の意。この「しかも」は裏切り系の表現ではなく、この「も」が詠嘆のそれだとすると、もっといい加減に、すこしなら隠してもいいのに、という意味になり、歌意が不自然です。