「そあらは(そ顕)」。「そあ」は「さ」になり語末のH音は退行化した。「そ」はS音の動感とO音の目標感により対象的に何かを指し示す。「あれ」「これ」「それ」などの「そ」。「あらは(顕)」はなにものかやなにごとかが有ることそれ自体への感銘(深い自我影響)、驚きや意外感、を表現する→「あらは(顕)」の項(2019年9月2日)。つまり、「そあらは(そ顕)→さら」は、「そ」で特別対象的に指し示されたなにか(ものやこと)が有ることそれ自体への感銘を表現する、ということなのですが、これは二つの情況において起こる。一つは、無い場合に(有る期待や思いがないのに)有るという感銘が有る場合。この場合は、無い筈(はず)、ないのに、という思いになる。他の一は、有る場合に(有るという期待や思いにおいて) 有るという感銘が有る場合。この場合は、あるのに、という思いになる。つまり、基本はものごとへの感銘、ものごとが、あること自体への感銘、であり、ないのに、ある、という感銘と、あるのに、ある、という感銘がある。「さらにない」は、ないのに。ないのに、(あるのかもという期待や可能性を無効にして)ない、という現実が感銘的にある。つまり、可能的にも、まったく、ない。「彼はAをしない。彼がBをすることはさらにない」の場合は、あるのに。しないということがあるのに、することがないということが感銘的にある。つまり、累加的にしない。

この「さら」は、たとえば「白木綿花(しらゆふはなに)落ちたぎつ」(万1107:白木綿花という空間的地点に落ちたぎったのではなく、「白木綿花」という状態で落ちたぎった)のように、動態や形容態を形容する「~に」とともに「さらに」という言い方をすることが一般的と言っていいほど多い。「さらに行く」も「さらにあり」や「さらになし」も「行く」や「あり」や「なし」が「さら」で形容され、それらは「さら」の状態の「行く」や「あり」や「なし」になる。

「ことさら」という表現もあるが、ことを特異的に「有る」にして、ということ。「ことさらに衣は摺らじ女郎花(をみなへし)…」(万2107)。

 

・「情(こころ)ゆも我は思はずきまたさらに我が故郷(ふるさと)に還(かへ)り来むとは」(万609:ないのに:故郷(ふるさと)に還(かへ)るなどということはないのに、ある。これは、行き、帰り、行き、そして今帰り、ということが累加的に起こっているわけではない。今帰り、という、あるはずの無いことが起こり、それを体験していること、そういうものごとがあることに深い自我影響を受けている)。

・「百隈(ももくま)の道は来にしをまたさらに(佐良爾)八十島(やそしま)過ぎて別れか行かむ」(万4349:あるのに:長い道を過ぎ来たということがあるのに、八十島を過ぎるということがある。この、あるのに、は、「AさらにBさらにC」と、累加的印象の表現になる。たとえば「静岡まで来た。さらに京都まで行く」)。

・「石上(いそのかみ)布留(ふる)の神(かむ)杉神(かむ)さぶる恋をも我れはさらにするかも」(万2417:ないのに:こんな年老いて恋をするなんて、ありえないのに、ある)。

・「…目もあやに飾りたる装束、ありさま、言へばさらなり」(『源氏物語』:ないのに:言えば、言うという条件下においては、その事象があるという感銘がある、言えば「ある」になってしまう(ないのに)、ということであり、言ってもそれは「ある」にはならない→言語表現できない・言葉にならない、ということです)。

・「法華経はさらなり。異(こと)法文などもいと多く読み給ふ」(『源氏物語』:あるのに:法華経を読むことは当然誰においてもあることであり、法華経を言うことは、それを読むという事象があるのに「ある」と感銘的に言うことになる(それは累加になる))。

・「復(マタ)有人(アルヒト)淡路(アハヂ)ニ侍坐(ハベリマ)ス人(ヒト)ヲ率(ヰテ)來(キ)テ、サラ(佐良)ニ帝(ミカド)ト立(タテ)テ天下(アメノシタ)ヲ治(ヲサメ)シメムト念(オモヒ)テ…」(『続日本紀』宣命:ないのに:これは、あるのに、すなわち、もう一人天皇を立てることは問題外としても、以前天皇(淳仁天皇)だった人をもう一度、という意味ではないでしょう。そうではなく、そういうことはないのに、あり得ないのに、ということ。もう一度天皇、という点で言えば、この宣命は天平神護元(765)年三月五日のものであり、これを発しているのは自分自身が二度目の天皇(孝謙天皇の重祚)たる称徳天皇です。この宣命は僧・道鏡だの藤原仲麻呂(恵美押勝(えみのおしかつ)だのといった混乱のなかで現れている。「淡路(アハヂ)ニ侍坐(ハベリマ)ス人(ヒト)」とは、当時淡路島に幽閉状態になっていた淳仁天皇)。

・「『さらに、夜さりこの寮(つかさ)にまうで来(こ)』との賜(たまひ)て」(『竹取物語』:あるのに:今来ている。そしてまた夜になったら)。

・「故(かれ)、それより以後(のち)は、稍兪(やや)に(少しづつ、次第に)貧(まづ)しくなりて、更(さら)に荒(あら)き心(こころ)を起(お)こして迫(せ)め來(き)ぬ」(『古事記』:あるのに:荒い。そして、荒いのにまだ荒いかと思うほど荒い。累加的、増強的に、荒い)。

・「戸はいまだあき侍らず。さらにいとかたくなん」(『落窪物語』あるのに:相変わらず)。

・「(舞の様子は)いで、さらに、いへば世の常なり」(『枕草子』:ないのに:いで、さらになにを言えばいいのか、といった表現が省略されている。そして、言えば(言語表現は)(その舞の印象が)世の中のありきたりなものになる、と言っている。つまり、その舞のすばらしさは言葉で表現できない、といっているわけです。「いで…」は、ここでは、さぁ…、のような言い方)。

・「『然(しか)らば更(さら)に爲(せ)むすべ無(な)し。今(いま)は吾(われ)を殺(し)せよ』」(『古事記』:ないのに:ないのに術(すべ)がないという現実にある→絶望的に、もはやなんの可能性もなく、術(すべ)がない。これは上記の「さらにない」)。

・「『このかは(川)、あすかがは(飛鳥川)にあらねば、ふち(淵)せ(瀬)さらにかはらざりけり』」(『土佐日記』:ないのに:飛鳥川ではないという条件下においては(飛鳥川なら淵瀬が変らないということはないのに)、(この川では)淵瀬が変らないという感銘的事象がある→飛鳥川ではないから淵瀬の変化がない(飛鳥川は流域の変化が有名だった))。

・「かかる事は今も昔もさらに聞えぬ事なり」(『栄花物語』:あるのに:かかる事は、今も昔も、聞こえないということがあるのに、聞こえないということが感銘的にあること、累加的に、持続的に、全く聞こえないことだ)。

・「今昔、天竺に一人の人有り。名をば和羅多と云ふ。其の父母、家、大に富て、財宝豊にして、更(さら)に乏き事無し。而るに、此の和羅多、道心深して、『我れ、出家して、仏の御弟子と成む』と思ふ。父母に暇を乞ふに、更(さら)に許さず。」(『今昔物語』:「更(さら)に乏き事無し」―あるのに:乏しいことが無い、という状態があるのに、とぼしくない。累加的に、際限なく、とぼしくない(なのに和羅多はそれを捨てて出家を思った)。「更(さら)に許さず」―ないのに:許さない、ということは普通はないのに、許さない)、「和羅多、父の家の門に至て乞食す。父、此れを見るに、更(さらに)に忘れて云(いは)く、『………』」(『今昔物語』:ないのに:(人には)子を忘れることなどないのに、(そのときその父にはそれが)あり(子を忘れて:この後、その父は、自分の息子だが今は僧となり乞食(コツジキ:托鉢)にやって来たその人を打って逐(お)いはらう))。

・「『…さらに心よりほかに漏らすな』と口がためさせたまふ」(『源氏物語』:あるのに:漏らさない、という状態において、漏らさない。漏らさず、累加的に漏らさず→けして漏らさない)。

・「御返りごと書きてまゐらせんとするに、この歌の本(もと:歌の一句から三句あたり)さらにわすれたり」(『枕草子』「殿などのおはしまさで後」:ないのに:わすれるなどということは普通ないのに。こんなこともあるのかと衝撃的な感銘を受ける状態で忘れた)。

・「『やや、さらにえ知らず』とて…」(枕草子』「殿などのおはしまさで後」:ないのに:ふつう知らないなどということはないのに、知らない(ただし、これは冗談のようにふざけて言っている。本当は知っている))。

・「…ただ三行(みくだり)ばかりに、文字少なに、好ましくぞ書きたまへる。大臣(おとど)、御覧じ驚きぬ。『かうまでは思ひたまへずこそありつれ。さらに筆投げ捨てつべしや』と、ねたがりたまふ」(『源氏物語』:ないのに:筆を投げ捨てる(書くことを放棄する)などということはないのに、そうしなければいけないのか?(そんな思いにさせる見事な筆跡だ)。「ねたがり(妬がり)」は妬(ねた)ましい思いがはやること)。