◎「さやり(障やり)」(動詞)
「さや(莢)」の動詞化。莢(さや)に閉じ込められたような、何かにとらえられたような状態になること。
「我が待つや鴫(しぎ)はさやらず(佐夜良受)…」(『古事記』歌謡10)。
「すべもなく苦しくあれば 出で走り去ななと思(も)へど こらに障(さや:佐夜)りぬ」(万899:これは「老身重病經年辛苦及思兒等歌(老いたる身に病を重ね、年を経て辛苦(たしな)み、また、兒等(こら)を思う歌)」という題詞のある歌のひとつ(「辛苦(たしな)み」は絶望的な状態になること)。「出で走り去ぬ」は現状から逃れ一気にどこかへ行きたい、ということですが、自死を暗示しているということでしょう。「兒等(こら)にさやる」は、兒等(こら)にとってそれが障(さわ)りになるという意味ではありません。その走り出でたい思いが、兒等(こら)という特性で、兒等(こら)が、障(さ)へ屋(や)になり閉じ込められ出ないでいる、ということ。たとえば「白木綿(しらゆふ)花(はな)に落ちたぎつ…」(万1107)が白木綿(しらゆふ)花という空間的地点に落ちたわけではなく、そう認められる状態で落ちた。「男に生まれた以上」は男という特性の個体から生まれたわけではなく、男と認められる状態で生まれた。そういう用法の「に」)。
◎「さゆ(白湯)」
「さはゆ(爽湯)」。「さは(爽)」に関してはその項(7月16日)。全的に質が一変し同時に何かが全的に抜け、なくなっている印象の湯です。これは、(ある程度の時間)加熱しただけで何も加えられていない湯を言う。「白湯 サユ」(『雑字類書』)。漢字表記は「素湯」とも書く。「さゆ」を意味する「白湯」は日本で生まれた表記でしょう。「白湯(パイタン)」という中国語はありますが、これは、肉などからとった単なるスープ、それに塩を加えただけのスープ、を意味する。中国語では、加熱した水は「熱水」、それにより沸騰した水は「開水」(字体はそれぞれ中華人民共和国の簡略体で書かれたりもする)。「白開水」や「白水」(清んだ水)といった表現もある。