◎「さひ(障ひ)」(動詞)

「さへ(障へ)」の自動表現。つまり、「さひ(障ひ)」と「さへ(障へ)」は自動・他動の関係にあるということであり、「さへ(障へ)」の自動表現に「さはり(触り・障り)」がある。「さ」の障害感の感じられる努力があらわれること(詳しくは「さへ(障へ)」の項(下記))。

「とゐ波(なみ)の立ちさふ道を」(万3335:「とゐ波(なみ)」は突然たつ波であり、それが進行の障碍になる)。

「澁(渋) ……サヒ」(『類聚名義抄』:「澁(渋)」は「澀」の俗字であり、「澀」は『説文』に「不滑也」とされる字。つまり、滑(なめ)らかに滑(すべ)るような状態ではない。口中がそのような状態になれば渋(しぶ)い。ものごとにその滑(なめ)らかな進行の障碍となるなにごとかがあれば、それが「さひ(障ひ)」。「さへ(障へ)」の自動表現であるから、「さはり(触り・障り)」のような意味になる)。

 

◎「さへ(障へ・触へ)」(動詞)

「さ」のS音による動感とそのA音による全感・情況感が違和感・異物感・障害感・阻害感を表現する。これは、その動感ゆえの、動態をそれと意識させる、動的夾雑作用によるもの(「さし(障し)」の「さ」に同じ)。この異物感は接触感にもなる。接触感とは異物との交流感なのです。語尾のH音は感覚発起。そのE音化は外渉感を表現し他への、客観的対象への、働きかけを表現する。すなわち「さへ(障へ・触へ)」は、違和感・異物感・障害感・阻害感を生じさせること。これは他動表現ですが、「さひ(障ひ)」とは自動・他動の関係にある。さらに、この「さへ(障へ)」の情況にあることを表現する自動表現は「さはり(触り、障り)」(下記)になる。

「ちはやぶる神かさけけむ うつせみの人か禁(さふ)らむ 通はしし君も来まさず」(万619:人が妨げているのか)。

「さへなへぬ(佐弁奈弁奴)命(みこと)にあれば愛(かな)し妹(いも)の手(た)まくら離れあやに悲しも」(万4432:遮(さ)へることはできない。東国の防人の歌)。

「葉をもちて傘盖(サンガイ:かさ)に成して能(よ)く大雨を遮(さふ)可(べ)からむときに…」(『金光明最勝王経』(の訓み):雨を遮断し防ぐ)。

「うぬ、此箱に手をさへてなんとひろぐ」(「歌舞伎」:手を触れてなぜ広げた)。

 

◎「さはり(触り・障り)」(動詞)

「さへ(障へ)」の自動表現。「さへ(障へ)」の「さ」の動的障害感・影響感が感じられる情況になること。これは、「さへ(障へ):障碍感・異物感」が有(あ)る、という客観的な表現であり、その障碍感・阻止感は「さへ(障へ)」のように積極的な、強力なものではない。表現は「Aがさはる」も「Aをさはる」もどちらもあり、「(なにかが)Bにさはる」という言い方もある。意味印象としては、障害感による「さはり(障り)」と接触感による「さはり(触り)」。

「『朕(われ)、初(はじ)めて天位(あまつひつぎ)を承(う)けて、宗廟(くにいへ)を保(たも)つこと獲(え)たれども、明(ひかり)も蔽(さは)る所(ところ)有(あ)り、德(いきほひ)も綏(やすみ)すること能(あた)はず。是(ここ)を以(も)て…』」(『日本書紀』:「明(ひかり)」にさはりがあるとは、光が障碍を受けまんべんなく行きわたっていない。「やすみし」はその項)。

「霜月しはすの降り氷り。水無月のてりはたゝくにもさはらずきたり」(『竹取物語』:寒さも暑さも何の障碍にもならず来た。「はたたく」は、葉(は)叩(たた)く、でしょう。太陽の強い日差しが草や木の葉を打ちのめすような状態になる)。

「体にさはる」。「気にさはる」。「癪(シャク)にさはる」。

「手をさゝげてさぐり給ふに、ひらめる物さはりけるとき…」(『竹取物語』:「ひらめる」はつぶれたような印象の形状の物でしょう(これは燕の古い糞だった))。

「さはらぬ神に祟(たた)りなし」。「その卵はさはってみたら暖かかった」。

「障 …サフ サハリ(ル)………サマタク」(『類聚名義抄』:『類聚名義抄』の「觸(触)」の字には「フル(触る)・カカル(掛る)・ツク(突く)」といった読みはあるが、「サハル」はない)。

 

◎「さば(生飯・散飯・三把・三飯)」

「セハンバ(施飯端)」。施(ほどこ)した飯(めし)の端(はし:小部分)、の意。餓鬼その他への施しとしてとりわける食物の小部分、とりわけたそれ、それを施す行為。具体的には飯の小部分を屋根にまくなどする。「さんば」とも言う。「さんぱん」とも言いますが、これは「サンパン(散飯)」でしょう。この語の語源説としては、「生飯」の音(オン)だという説が相当に広くおこなわれている。しかし、「生飯」の音は「さば」にはならないでしょう。この「さば(生飯)」は、今は一般には行われていないと思うのですが、仏教の作法には今でもあります(たとえば、永平寺における修行での食事の作法など)。

「さわがしきもの。……板屋の上にて烏(からす)の斎(とき)の生飯(さば)食ふ」(『枕草子』)。