◎「さはさは」
「さ」は情況的動感を表現するそれであり、「は」は提示の助詞にもなっている感覚的感づき、全的感づかせ、の「は」であり、この「さは」は情況感覚的に「さ」が起こっていること、動感情況があること、を表現する。全体的に動揺があり、自然現象として音響の発生もともなうでしょう。二音の連音で持続が表現され「さはさは」とも言い、濁音化により語感の強化も起こり「ざはざは」にもなる(これによる「ささめき」(※下記)も「さざめき」や「ざざめき」にもなる)。「ざは」一音による「ざはめき」もある。
「気がさはさはとめぐる夕だち」(「俳句」『大坂檀林桜千句』)。
「村鳥の群居る如く。ざはざはざは、ざはめき渡つて見へたるは、契約の討手の軍兵ごさんなれと…」(「浄瑠璃」『国姓爺後日合戦』)。
「高綱『(……浮(うか)む涙を咳(せき)に紛らし)俄(にはか)の冷気に持病の咳が』 大太『お茶を上げませうか』 高綱『おヽ養仙老より貰ひし薬、さはさはと煎じてくりやれ』」(「歌舞伎」『出来穐月花雪聚(いでそよづき はなのゆきむら)』:この「さは」はここで言っているそれなのか、同音他項(下記)にある「さは(爽)」なのか、微妙ですが、煎じにより湯が揺れる「さは」でしょう)。
※ 「ささめき」(6月23日)にはこの「さはさは」の系統の「さはさはめき」と「さやさやめき」の系統がありますが(6月23日)、この「さはさは」のような二音連音の表現にも「さやさや」はあり、「さわさわ」もある(文部省仮名遣いでは「さはさは」も「さわさわ」もどちらも「さわさわ」)。
◎「さはさは」
「さは(爽)」の二音連音。夾雑物が抜け、喪失していくことを表現する。
「御心地さはさはとなりて、いささか心苦しき御事もなく、例ざまにならせ給ひぬ」(『宇治拾遺物語』)。
「知らざりしさまをもさはさはとはえあきらめ給はで」(『源氏物語』)。
※ 上記の「さはさは」とこの「さはさは」は別語ということです。
◎「さはやか(爽やか)」
この「さは(爽)」では「さはやか(爽やか)」という表現もある。「やか」は、「かろやか(軽やか)」「しめやか」その他にある「やか」であり、何かを情感的に確認感嘆する。全体は、情況が一変した(相対的に何かが抜け、なくなっていく)感覚にあることを表現する。「やか」に関しては「はるか(遥か)」の項。
「月も日もさはやかにこそ照らすめれ(照らしてはいるが)いとけぎたなき人の心を」(『捨玉集』)。
「湯浴(あ)みてさはやかにならむと宣(のたま)はす」(『栄花物語』)。
◎「さはし(醂し)」(動詞)
「さは爽」の動詞化。何かが帯びている情況を全的に変え、その変わることはそこから何かが喪失すること、抜け、なくなることであること。
「さはしがき(醂し柿)」(「さはし」により渋が抜けた柿)。
◎「さはだ」
「さはとや(多とや)」。「や」は詠嘆。多量に、の意。
「小筑波(をづくは)の嶺(ね)ろに月(つく)立(た)し間夜(あひだよ)はさはだになりぬをまた寝てむかも」(万3395:古代東国の歌であり、方言的変化がある。「を」は逆接であり、会わなかった夜は幾夜もあり間が空いたがまた寝たい、ということでしょう)。
「伎倍人(きへひと)のまだら衾(ぶすま)に綿(わた)さはだ(佐波太)入りなましもの妹が小床(をどこ)に」(万3354)。「伎倍(きへ)」は、地名とも言われ、そうした地が有ったのかも知れませんが、この前の歌・万3353には「あらたまの伎倍(阿良多麻能 伎倍)」という表現があり、この表現は「あらたまの 年が来経(きふ)れば あらたまの 年は来経(きへ)ゆく(阿良多麻能 登斯賀岐布禮婆 阿良多麻能 都紀波岐閇由久)」(『古事記』歌謡29)にあるそれでしょう。つまり、「きへ」は「来経」であり、時間が経過していることを表現し、その「時間」とは、相手の女性との関係の歳月でもあり、男のところへやって来て、そして今帰ろうとしている男を、寒い中、林でたたずみいつまでも見送っているその時間の経過でもある。その「来経」の人たる女の布団には、完全ではなくまだらだが、綿がたくさん入っている。そんな寒い中たたずんでいるより、そこへ入った方が暖かいのに…、とう歌。「伎倍人(きへひと)のまだら衾(ぶすま)に綿(わた)はたくさん入っていようものを…妹が小床(をどこ)に…(なのになぜあなたはそこへ戻らずこんな寒い中いつまでもそこにたたずんでいる)」、ということ。この前の歌・万3353は「あらたまの伎倍(きへ)の林に汝(な)を立てて行きかつましじいを先立たね(阿良多麻能 伎倍乃波也之爾 奈乎多氐天 由伎可都麻思自 移乎佐伎太多尼)」(万3353)。これは、前半は、この林にあなたを立たせたまま行くことはできない、ということであり、「いをさきだたね」は、「い」は熟睡を意味し、心配はないんだよ、私はお前とずっと一緒なんだ、まずはゆっくりおやすみ(こんな寒い中、そんなところにいつまでも立ってないで、家へおもどり、またすぐ会える)ということ。この二つ歌は一般に相当に誤解されているものであり、万3353は、林におまえを立たせたまま行ってしまうことはできない、まずは一緒に寝よう(つまり、「いをさきだたね」は、一緒に寝ることが先だ)、と解され、万3354は、「伎倍人(きへひと):つまり女」の布団には綿がたくさん入っている、その綿のように、私も女の布団に入りたい(つまり、「…綿(わた)さはだ(佐波太)入りなましもの妹が小床(をどこ)に」は、(妹の)布団には綿がたくさんだ、俺が入りもしようものを、妹の布団に)、と解することが一般的になっている。