◎「さばき(捌き・裁き)」(動詞)
「さやあばき(莢暴き)」。「さや(莢)」は豆(まめ)の莢(さや)。「あばき(暴き)」は何かをはらいのけ、それにより何かを現すこと(厳密に言うと、それにより何かが現れもする)ですが(その項・2019年6月5日)、たとえば「墓をあばき」の場合、墓のないところに墓を現すのではなく、現れていない墓の内部を現す。「さやあばき(莢暴き)→さばき」は莢(さや)の内部を現す。すなわち豆(まめ)を現す(厳密に言うと、豆が現れる)。この「まめ(豆)」に「まめ(実直)」がかかっている。すなわち「さばき(捌き・裁き)」は「まめ(実直)」を現すこと。「まめ(実直)」が現れること。「まめ(実直)」とは他者の全的認容が忠実に実行されることであり(→「まめ(実直)」の項)、自己主張的粉飾は一切なくただそれのそれとしての効果・機能だけが現れる。ただ他者の一般的期待を満たす効果だけが現れる。これを現すことが「さやあばき(莢暴き)→さばき」。たとえば「手綱(たづな)をさばき」の場合、手綱としての効果・機能だけが現れる。それにより、見ている人に受けようとする芸人的主張などはない。「商品を売りさばき」は、売ることによりその商品のそれとしての効果・機能を現す。すなわち、その商品として効果的に売り。「着物の裾さばき」は、着物の裾が乱れそうな、つまり、着物の裾に着物の裾ではなくなりそうな状態が現れそうな、状況において、着物の裾に関し、着物の裾としての効果・機能が現れる操作が忠実に行われること。ものごとを「さばく(裁く)」(これはものごとの主体たる人をさばくことにもなる)は、そのものごとを、自己主張的粉飾、自己の私的欲望による粉飾、は一切なくただそれ(そのこと)のそれ(そのこと)としての効果・機能だけを現す。それによりそのことにただ一般的期待を満たす効果・公的効果・公(おおやけ)たる効果だけが現れる(現れていない場合、それは「さばき(裁き)」ではない)。
「さやあばき(莢暴き)→さばき」というこの語は、(破壊的に)裂(さ)き、(破壊的に)開(ひら)き、という意味でもちいられることもある。とくに、この語の自動表現「さばけ(捌け)」(その項)はそうした解体的な意味で用いられる傾向が強い。
「大事をさばき大義をさだむる時は…」(『古文真宝後集抄』:これはものごとをさばく)。
「かがり火の早瀬にくだすうかひ舟さばく手縄(てなは)の影ぞ乱るる」(『壬二集(ミニシフ)』)。
環境をさばく、環境に対応する、つまり、ふるまう、という意味でも用いられる。「卑怯(ヒケフ)はさばくまいと思ひつめても便りなく」(『冷泉節』近松門左衛門)。「揚屋町に行けば、日頃の大臣よろしくさばき置(おか)るるとみえて大座敷わたし」(「浮世草子」)。
「狂人のまねとて、髪をさばき、あかはだかになり」(『真宗教要鈔』:魚などを、不用部位や有害部位を去り食用その他の有用素材として完成させることを「(魚などを)さばく」と表現するが、この例にある「さばき」は、解体する、という意味で用いられているもの。上記の「(商品を)売りさばく」にも解体的な意味は作用しており、そこでは在庫の山が解体される。すなわち、そこで表現されるのは、在庫の山の解体とその商品の現実効果的効果の現れ)。
◎「さば(鯖)」
「しわむら(皺斑)」。体表上面の皺のような印象の斑(むら)になった模様の印象による名。マサバの印象。魚の一種の名。
「鯖 サバ」(『類聚名義抄』)。「鯖 和名阿乎佐波」(『和名類聚鈔』)。
「凡北海所在雑物、鮐・沙魚・佐波・烏賊…」(『出雲風土記』秋鹿郡:凡(およ)そ北の海に在(あ)る雑物(くさぐさのもの)、鮐(ふぐ)・沙魚(さめ)・佐波(さば)・烏賊(いか)…)。