◎「さねさし(枕詞)」
「さねさし(種さし)」。「さね(種・核)」はその項(7月15日)。「さし」は「(日が)射(さ)し」や「きざし(兆し)」のそれのように、自動表現であり、現れを表現する。この語が「さが(性)」(その項・5月23日)にかかり、同音のある地名「さがみ(相模)(下記)」(ほぼ後の神奈川県。「さがむ」とも言う)にかかる。「さが(性)」は人の、それをそれとしてあらしめる、それをそれとして存在させる本質、中核、すなわち「さね(種・核)」の現れ、だということ。そして、「さね(種)」が「さす:芽生える(そして花が咲き実がなる)」もかかっているのでしょう。つまり、「さねさしさがみ」は、(人やものごとの)本質・中核が現れ芽生え花咲き相模(さがみ)、という表現になる。これは、西からやって来た場合、山地を抜け、草原が広がり、生まれ変わったような新たな世界が広がったから、ということであろうか。
「さねさし(佐泥佐斯)相模(さがむ:佐賀牟)の小野(をの)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも」(『古事記』歌謡25:燃え盛る火の中であなたは私の名を呼んでくださった)。
◎「さがみ(相模)」
「さきはらみ(先原見)」。「はら」のH音とR音は退行化した。これは後の神奈川県あたりを表現する地域名ですが、西から来て、足柄(あしがら)あたりで、山地を終え、その先に平地を、広がる原を、見る地、そしてその平地。「さがむ」とも言う。これは「さきはら(先原見む)」。先に、広がる原を見るだろう、と言われつつ行く地、そして広がったその原の地。
「東海國………相模 佐加三」(『和名類聚鈔』)。
「さねさし相模(さがむ:佐賀牟)の小野(をの)に……」(『古事記』歌謡25:この歌は上記)。
◎「さは(沢)」
「せあは(瀬淡)」。瀬が淡い、とは、瀬(水流)が希薄化した印象の地域、の意。
「君がため山田の沢(さは)にゑぐ採(つ)むと雪消(ゆきげ)の水に裳(も)のすそぬれぬ」(万1839:「ゑぐ」は別名クロクワイと言わる植物と思われます。浅い水中に生え、食用になる。その語源に関してはその項)。
「澤 風土記云水草交曰澤…和名左八」(『和名類聚鈔』:「水草交」は水草(みづくさ)が交(ま)じるわけではありません。水と草が交じる)。
◎「さは(多)」
「さ」は何かを指し示す。「は」は何かを提示する(つまり助詞)。「それは」と驚くような状態であることの表現。これが量の多さを表現する。
「八十(やそ)の湊(みなと)に鶴(たづ)さはに(佐波二)鳴く」(万273)。
◎「さは(爽)」
「さあは(さ淡)」。「あは(淡)」はその項(この語は、基本的には、空虚感を表現する「あ」による語)。語頭の「さ」によって表現される情況的動感があり、動態感のある希薄さが表現される。希薄化するということは喪失感があるということです。状況から抜けるように何かが喪失していく。「さはやか(爽やか)」などにある「さは」。
この「さは」を度重ねた「さはさは」という表現もある。
「知らざりしさまをも、さはさはとは、えあきらめたまはで、ことわりに心苦しく思ひきこえたまふ」(『源氏物語』:自分は知らなかったことをサハサハと明らかにすることもなく、もっともなことと気の毒に思った)。
「かやうのことは、局々の下人までいまいましきことにこそいふを、御口よりさはさはとおほせられ出だすを聞くは、夢かなとまであさましければ、涙もせきあへず」(『讃岐典侍日記(さぬきのすけニッキ)』)。
「御心ち、さはさはとなりて、いささか心ぐるしきこともなくて」(『古本説話集』)。