◎「さね(実・核)」の語源
「さのね(さの根)」。「さ」は「ひがさし(日が射し)」にある動態感のある「さ」。「ね(根)」は発動因。たとえば「桃のさね」なら、桃を発動する根(ね)。そこから発芽し桃になる。要するに「さのね(さの根)→さね」は、発生源、のような意。物的にであれ、社会的にであれ、それをそれとしてあらしめる、それをそれとして存在させる、本質、中核、という意味でも用いる。また、「さね忘らえず」のように、根本的に、核心的に、全く、のような意で否定の動態形容にも用いられる。
「核 爾雅云桃李之類皆有核…和名佐禰 …今案一名人(ジン) 醫家書云桃人杏人等是也」「桃奴 本草云桃人 一名桃奴 和名毛々乃佐禰」(『和名類聚鈔』:「爾雅(ジガ)」は中国の古い字書。「本草」は中国の本草書か。『本草和名』(918年)には「桃人」はないように思われる。その「桃核」に「桃奴」や「桃霊」や「桃父母」といった語はある。植物に関しては「さね(種)」と「たね(種)」はほとんど同じ意味になるわけですが、「さね(種)」は動態の発動因を表現し、「たね(種)」は思考としての物や事象の発生因を表現する)。
「今は学問し候べき器量などのあるを後世者(ゴセシャ)のさねと申あひて候也」(『一言芳談』:「後世者(ゴセシャ)」は、現世・俗世、ではなく、後世・生まれ変わった後の世、に生きる人。「後世者(ゴセシャ)のさね」はそういう人になりうる人)。
「誠 マコト サネ」「實 ……マコト…ミ…サネ」(『類聚名義抄』:この、「さね」が誠(まこと)を意味するかのようなこの状態は、「み(実)」を意味する「實(実:ジツ)」を「さね」と読み、この「實(実:ジツ)」がことがらの現(ゲン)に在(あ)りを、現実や真実を、意味したことによるものでしょう)。
「天地(あめつち)の底ひの裏に吾がごとく君に恋ふらむ人はさねあらじ」(万3750:まったくない)。
「~ざね」と濁音化し、それがそれとしてあるその発生因、という意味にもなる。「先に生れし三柱の女子(をみなご)は物実(ものざね)汝(いまし)が物に因りて成れり。故(かれ)、乃(すなは)ち汝(いまし)が子ぞ」(『古事記』)。「春の野に緑にはへるさねかつら我が君さねと頼むいかにそ」(『大和物語』:この「君(きみ)ざね」は、最も大切な人、のような意味でしょう。これは男から女への歌。「はへる」は、映える、でしょう。「さねかづら」に関しては下記。この歌で言っている「さねかづら」も、その植物自体ではなく、その実でしょう。この植物はその赤い果実が映え印象的。それが緑に映える)。
◎「さねかづら(真葛)」
「さねはえかづら(実映え蔓)」。果実を「さね(実・核)」と表現した。この植物はその果実が赤く映え、印象的です。その特徴による名。「かづら(鬘草・蔓)」はその項。
「五味 ………和名作禰加豆良」(『和名類聚鈔』:「五味」は、この植物(その果実を言っているのでしょう)は各部分にさまざまな味があるからだそうです)。
「…さねかづら 後(のち)も逢はむと…」(万207:この「さねかづら」は、「~さね」は人に期待的になにかをすすめる表現であり、想的に自己を維持する努力をすることが「かち(勝ち・克ち)」であり、「うら」は「裏・心」であり、それによる「~さね・克(か)つ・心(うら)」。これは、~してください、と、人に、こわれそうな思いになりながら期待し自我を維持している心の状態にあることを表現する。そこにサネカヅラの、緑に鮮やかに映える実の印象が重なる「~さね」は「な(助・副)」の項、「かち(勝ち・克ち)」は2021年4月2日、「うら(裏・心)」は2020年7月19日)。
◎「さね(札)」
「さはなへ(多な重)」。多数重ねるもの、の意。「さね」と呼ばれるこの小片を多数連ね重ね、鎧(よろひ)の縅(をどし)を作る。
「札 サネ 鎧鉄也」(「下學集」(1444年))。
「鎧の札は割小札本なり。割小札は…」(『貞丈雑記』:後には、札(さね)が重なっているかのような凹凸を造形した簡略な鎧もできるのである)。