◎「さには」

「しはには(為葉似葉)」。意思的に進行する時間に似た時間、の意。「は(葉)」は時間を意味する→「はは(母)」の項。「はには(葉似葉)」、すなわち、「は(葉):時間」に似た「は(葉):時間」、時間に似た時間、とは、人間界とは異なった進行をしている時間です。それが霊の世界であれ神の世界であれ、人間界とは異なった進行をしている時間。それを意思的意図的に進行させることが「しはには(為葉似葉)→さには」。それにより「はには(葉似葉)」の世界との交信がある。時間たるその場も、その時間にある人も、「さには」と表現する。その際に琴が奏でられたりもする(その影響でしょう、後世、神楽において琴を奏でる人を「さには」と言うことがある)。『日本書紀』の神功皇后の部分にそれに関する記述がある→『日本書紀』神功皇后摂政前記(仲哀天皇)九年三月。

「其(その)大后(おほきさき)息長帶日賣命(おきながたらしひめのみこと)は、當時(そのかみ)神(かみ)を歸(よ)せたまひき。故(かれ)、天皇(すめらみこと)筑紫(つくし)の訶志比宮(かしひのみや)に坐(ま)しまして、熊曾國(くまそのくに)を擊(う)たむとしたまひし時、天皇(すめらみこと)御琴(みこと)を控(ひ)かして(おひきになり)、建內宿禰大臣(たけしうちのすくねのおほおみ)沙庭(さには)に居(ゐ)て、神(かみ)の命(みこと) 請(こ)ひき。ここに大后(おほきさき)神(かみ)を歸(よ)せたまひて、言(こと)教(をし)え覺(さと)し詔(の)りたまひしく…」(『古事記』:ここで「沙庭(さには)に居(ゐ)て」とは、「はには(葉似葉)」の世界との交信をおこなったということでしょう)。

この語、本居宣長は「さやには(清庭)」であるとしている。そう解した場合、この語は、新鮮な、爽(さは)やかな、庭、のような意味になる。本居宣長としては、穢れのない清らかな、という意味でそう言っているのでしょう。しかし、「さには」に関しては、『古事記』においては「(建內宿禰が)居於沙庭(さにはにゐ)」と表現され、『日本書紀』においては「 (中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)を喚(め)して)「爲審神者(さにはにす)」と表現されるわけですが、建內宿禰が清らかな庭にいることはわかるとしても、神功皇后が神主(かむぬし)となり、武內宿禰が琴を撫(ひ)き、中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)を召して清らかな庭にするという表現は不自然でしょう。この場合、「爲審神者(さにはにす)」は、中臣烏賊津使主を召して現実の世界と「はには(葉似葉)」の世界との交信・交流の補助をさせ、その証人にもしたのです。

 

◎「さぬき(讃岐)」

「さはねうき(多根浮き)」。その地に接する海に多数の島々が浮かぶようにあることがそのように表現された。古い(四国の)地域名。島が、地にしっかりとついている部分、という意味で「ね(根)」と表現されたということ。「…岩が根の 荒き島根に(伊波我禰乃 安良伎之麻禰爾) 宿りする君」(万3688:これは島が「ね」と表現されている例)。

「次(つぎ)に伊豫(いよ)の二名(ふたなの)嶋(しま)を生(う)みき、此(こ)の嶋(しま)は、身(み)一つにして面(おも)四つ有(あ)り、面(おも)毎(ごと)に名(な)有(あ)り、故(かれ)、伊豫(いよ)の國(くに)は愛比賣(えひめ) 此三字以音(この三字は音を以(もち)ゐよ)、下效此也(下はこれに效(なら)へ) と謂(い)ひ、讚岐(さぬきの)國(くに)は飯依比古(いひよりひこ)と謂(い)ふ」(『古事記』)。

「南海國第五十八 ………讃岐 佐奴岐」(『和名類聚鈔』)。