◎「さと(里)」
「しあてゐよ(為当て居世)」。「しあ」は「さ」になり、「てゐ」は「つ」になり「さつよ」のような音(オン)を経つつ「さと」になった。語頭の「し(為)」は意思的・故意的な動態であることを表現する(→「し(為)」の項)。この「あて(当て)」は期待であり、期待すれば依存も起こる。「しあてゐよ(為当て居世)→さと」、すなわち、期待、あて、相互に依存、した状態で居る世(よ:世界)とは、ようするに、多くの人達が相互に助け合うようにして生活している世界です。多くの人達が互いに関係しつつ生活している世界。そこで生まれ、育った人が中央の宮中に仕え、さらには都市部の店で働き、ということが起こった場合、「さと」は自分が生まれ育ったその地を意味したりもし、田舎や田園地を意味したりもする。古くは行政域をあらわす語になったこともあった。「さとご(里子)」という言葉は「頼(たよ)りにする世の子」という意味になる。『万葉集』には「五十戸」を「さと」と読んでいる例がありますが(万2251)、これは「大化改新」(645年)後、最小行政区画を五十戸を一里(ひとさと)としたことによるもの。「さと」で距離を表現している例もありますが、これは中国語の「里(リ)」が距離を表現することもあり、その「里(リ)」を「さと」と読んだもの。「はるはると(遥々と)ちさとのほとを(千里の程を)へたてては(隔てては)…」(『古今和歌六帖』:これは「さと」が距離を表現している例)。
「ま遠くの野にも逢はなむ心なく里(さと:佐刀)のみ中(なか)に逢へる背なかも」(万3463:人のたくさんいるところ、人目につき、いろいろな噂をされるところ、人目を気にし、思うように思いも伝えられないところ、で逢った)。
「『朕(われ)聞(き)く、近日(このごろ)、暴(あら)く惡(あ)しき者(もの)多(さは)に巷里(さと)に在(あ)りと』」(『日本書紀』:この「さと」は百姓(おほみたから)の実生活社会・世界ということ)。
「ももしきの大宮人は今日もかも暇(いとま)を無みと里(さと)に出でざらむ」(万1026:内裏のそとが一般的に「さと」になっている。一般庶民の生活の場、ということでしょう)。
「さとがへり(里帰り)」は生まれ育ったところへ帰ること。
◎「さど(佐渡)」
「さちとよ(幸豊)」。幸(さち)が限りなく豊(ゆたか)な地、の意。現在、新潟県と呼ばれる地の沖にある大きな島地を中心にした地域の地域名。「おほやまととよあきづしま」の項の「(島生み)」も参照。
◎「さで(叉手)」
「さすて(叉手手)」。「さす(叉手)」は、合掌するように、斜めに接合した状態の何かをいう。「て(手)」は、そのようなあり方のもの、の意。三角状に棒を接合させ網をつけた漁獲道具を意味する(二辺が多少長いその一角が柄の役割を果たす)。
「三河(みつかは)の淵瀬(ふちせ)もおちずさで(左提)さすに衣手濡れぬ干す子はなしに」(万1717:「三河(みつかは)」は、河の名なのか三つの川なのか、くわしいことはわかっていない。もっとも、そのような河はなく、見つ(たしかに見た)、彼(か)は…(あれは…:なんと心惹かれる人(女性)だ)、ということであり、あらゆる淵(ふち)瀬(せ)を「さで」でさらったが(あらゆる手をつくしてその人の心をとらえようとしたが)、とらえられない、という歌か。川のすべての淵や瀬に叉手をさすなど、事実上、不可能です)。
・「さす(叉手)」
「さしはす(挿し斜)」の音変化。「し」は退行化し「さはす」のような音が「さす」になった。「さし(挿し)」は異物介入のそれ(→「さし(差し…)」の項)。「はす」は斜(なな)め。「さしはす(挿し斜)→さす」は、(相互に)挿入している斜め、ということ。切妻造の家の端で斜めに交叉している材やその部分を言う。「さすまた」(武具の一種:先端が斜めに二股に分かれている)という語もある。「杈首 ……佐須」(『和名類聚鈔』:これは「和名」とは書かれていない。どうも「杈首」の音(オン)として扱われているようです)。