「しあていひ(為当て言ひ)」が「さち」。「ていひ」が「つひ」のような音(オン)を経つつ「ち」になっている。「し(為)」は意思的・故意的な動態であることを表現する→「し(為)」の項。意思的・故意的であるとは、理性的な動態だということです。この場合の「あて(当て)」は期待や思惑、見込みといった意味のそれ→「あて(当て)」の項。「しあて(為当て)」すなわち、理性的な期待や思惑、見込みとは、こうあるはず、こうあるべき、という思いや判断であり、その「いひ(言ひ)」とは、それを言語表明することです。すなわち、「しあていひ(為当て言ひ)→さち」は、こうあるはず、こうあるべき、という思いや判断を表明すること。「さた(沙汰)」は、その「さち」による「さちわ(さち輪)」。「わ(輪)」は、その形状はそのどの点から始まってもそこへ戻り、それを構成するどの人から始まってもその人へ戻り、「わ(輪)」は無限に循環する動態として充足した完全感を表現する。「しあていひわ(為当て言ひ輪)・さちわ(さち輪)→さた」とは、その「さち」が表明され、それに対する疑問も表明され、それに対するさらなる応答も表明され形成される複数の人々の輪(わ)であり、そこで起こることであり、そこでなされた全体の「さち」たる意思です。すなわち「さた」は、複数人が生活関係をなしている社会において、その社会全体にかかわることに何か問題が生じた場合そのことに関しその人たちが合意すれば問題が処理されると期待される人々が寄り合いその問題を議論する場であり、その議論であり、そこで形成された合意意思です。それは一般的行政行為にもなる。また、問題化したある個別的な出来事・事件を扱えば審理と裁判にもなる。すなわち、行政行為・政務や訴訟行為・裁判が「さた」になる。

この「さた」は相当に古い時代からある言葉なのではあろうけれど、政府やその関係の動態がそれにより表現されるのは公家政府が成熟し司(つかさ)による行政が成熟した後のことなのではないでしょうか。すなわち、「さた」は公的審議・公的合意であり、古代における大君や天皇(すめらみこと)の意思とその表明は「さた」ではない。そのころから「さた」はあったが、それは土臭い俗な、そして政治的審議や決定の印象のある、表現だったのではないでしょうか。推古天皇の『十七条の憲法』(その十七)では「さた(沙汰)」や「さたす(沙汰す)」が用いられそうな場面では「獨(ひと)り断(さだ)む」や「衆(もろもろ)と論(あげつら)ふ」や「衆(もろもろ)と相辨(あひわきま)ふる」といった表現がなされる。

 

「所司冝(ク)詳(ニ)沙汰(シ)明(ニ)作(シテ)条例(ヲ)奏聞(ス)」(『続日本紀』延暦五年夏四月庚午(十一日):所司(つかさ)詳(つまびらか)に沙汰(さた)し明(あきらか)に条例を作(な)して奏聞(まう)すべく…、ということか。ちなみに、延暦五年は786年(桓武天皇):「さた(沙汰)」は漢語とする説もありますが、ここに漢語が、それも砂や米を洗うような俗な漢語(下記)が、導入されているのは不自然に思われます。「奏聞」に関し下記※)。

「何とて鎌倉へ御上り候ひてさたをば召され候はぬぞ」(「謡」:この「さた」は裁判)。

「後冷泉院の末の世には、宇治殿(藤原頼通:藤原道長の長男であり、平等院鳳凰堂を造営した)入り居させ給ひて世のさたもせさせ給はず」(『栄花物語』:この「さた」は統治・行政)。

「若狭の国にさたすることありて行くなりけり」(『今昔物語』:訴訟に行ったわけではなく、いろいろと相談事や取り決めなければならないことがあり行った。私的な行政措置)。

 

「ぢゃうばん(定番)の女ぼう(女房)廿人ばかりは、みの(身の)さうぞく(装束)ほかい(食べ物を納める移動用の調度)などまで、みなかみ(上)より御さたあり」(『たまきはる』:「ぢゃうばんの女ぼう」はその『たまきはる』の表現に従えば「あさゆふさぶらひし人」。公定たる沙汰は告知・公告・公知され、それは、指示、知らせ、も意味する)。「病気のさはり入道殿へはさた御無用」(「浄瑠璃」)。「音沙汰ない」。

 

「がくしゃう(学生・学問する人)のさたするむつかしきがくもん」(『こんてむつすむん地』キリスト教関係の書:書名はラテン語のcontemptus mundi(世を厭(いと)う))。「ある時は止観の談義、ある時は真言の深きさた、浄土の宗旨などを尋ねさせ給つつ」(『増鏡』:この「さた」は問題として考え判断すること・判断。それも、行政的なことや司法的なことではなく、学問的なこと)。

「赤舌日(シャクゼツニチ)といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり」(『徒然草』:公的議論・公定)。

「その座にはさたする人もなくて止みにけり」(『俊頼髄脳』:論議) 。

「しゃうぢきなる人にまじはり、善事のたよりとなる事をさたせよ」(『こんてむつすむん地』(上記):公定される考えを考える)。

「この歌の故にやと時の人さたし」(『古今著聞集』:問題や関心として言語交渉が起こる。噂すること、評判になること。噂、評判)。「とりざたされる」。

大衆的に問題が取り上げられ話題、噂になり評判になる出来事・騒動・騒ぎ。「刃傷沙汰」。「裁判沙汰」。

ある人の公定的考え・判断・言動。「正気の沙汰ではない」。「気狂(きちが)ひ沙汰」。

 

「沙汰」という表記は意味に共通性を感じさせる漢語の表記をそのまま用いたもの。ただし、「沙汰」という漢語はある(「汰沙」とも言う。「沙」は砂、「汰」は水ですすぐことを意味する)。この語は砂や米のようなものを水ですすぎ、不用物を除くこと、さらに、意味発展的に、良いもの(こと)とそうではないもの(こと)を選り分けること、も意味する。審議・審理の際にそうしたことが行われはする。しかしそこには公的審議や公的合意の意味はない。上記『続日本紀』の例に関して言えば、『続日本紀』がなったのは797年であるから、中国語の「沙汰」に影響され日本語の「さた」が用いられた(あるいは、その表記に用いられた)ということもあり得ないことではないが、漢語の「沙汰」には公的審議や公的合意の意味はない。ちなみに、『万葉集』『古事記』『日本書紀』『続日本紀』を通じ、「沙汰」という語が用いられているのは上記『続日本紀』の「延暦五年夏四月庚午(十一日)」の例だけのように思われる。『源氏物語』にもないのではなかろうか。つまり、「さた(沙汰)」は司(つかさ)たる公家が俗化して政治的な場で用いだし文書にも書くようになった語ということなのではなかろうか。

 

※ 「まうす(申す)」を「奏聞」と書くこと、それにより生じた「奏聞(ソウモン)」という語、は(尊敬(謙譲)表現たる)「聞(き)こえ」に影響された表記によるもの。「奏聞(ソウモン)」という漢語はない(皇帝に文書内容を伝えたりすることを意味する「啓奏」や「奏上」といった語はある。「奏」は整えられ事態が滞りなくすすむことを意味する。「奏聞(ソウモン)」という表記は、その「啓奏」などに影響され、「聞こえ」が天皇に対するものであることを「奏」によって表現したもの。「奏」だけでも「まうす(申す)」と読む)。