●「さすがかは(さ為が「彼は」)」と◎「さすかかは(さ為か彼は)」がある。これが挿入句のように入り、「さすがに」という言い方が多い。下記●の系列には「さすがは」という言い方もあり、◎の系列には「さすがのAも」という言い方もある。

 

●「さすがかは(さ為が「彼は」)」

「さ」は、現状であれ想的なことであれ、何かを指し示す。「す(為)」は動詞終止形であり、動態進行が表現される。「さす(さ為)」が、「さ」で指し示された、具体的個別的なことであれ一般情況的なことであれ、動態進行があることを表現する。「が」は助詞(格助詞)。「かは(彼は)」は、あれは…、と想念的に思われるなにごとかを表現する。つまり、「さすがかは(さ為が「彼は」)→さすが」は、「さす(為)」が・(あれが)そのようにあるのが、「彼(か)は」・「あれは」、だ、のような意味になる。語尾の「は」が退行化する、あるいは初めからなく(「さすがか(さ為が「彼」)でも表現は成り立ち、現実たるそれが理想たるそれ、のような意味になる。「さすがに横綱は強い」→あのようにあるのが(想念的な)「横綱は…」だ・あれは、想念的な、思っている通りの、横綱だ、の状態で横綱は強い。

◎「さすかかは(さ為か彼は)」

「さ」「す」は上記に同じ。次の「か」は疑問や詠嘆を表現する。「か(彼)」は一般的に何かを指し示し、「は」は提示の助詞(単なる提示は詠嘆にもなる)。これは、AはBである、ではなく、BかAは…、という表現であり、倒置です。つまり、「さすかかは(さ為か彼は)→さすが」は、あのようにか?(詠嘆の場合は、あのようにか…)あれは、のような意味になり、「か」には疑問も詠嘆もある。つまり、「さす か かは」は「かは さす か」であり、語尾の「か」は疑問や詠嘆であり、理想の現実はこうなのか…、という詠嘆や、理想の現実はこうなのか?、という疑問が表現される。つまり、理想たるそれか…現実たるそれは(詠嘆)・理想たるそれか?現実たるそれは(疑問)、のような意味になる。「さすがに横綱も病気には勝てない」(横綱でもああなってしまうのか、あれは…、の状態で病気には勝てない。詠嘆)、「さすがの横綱も病気には勝てない」(「さすかかは(さ為か彼は)」の横綱も、あのようにか…あれは、の横綱も、病気には勝てない。詠嘆)。「親方が八百長をすすめ、横綱はさすがに親方に憤慨した」(「さすか?かは」に親方に憤慨した。疑問)。

 

「さすが」の漢字表記は「流石」がもっとも一般的ですが(「石流」もある)、「遉」「有繋」とも書く。これらはすべてその漢字表記の由来は明らかになっていないものですが、「流石」は、「さすがは」を、砂州河、と読み、流れる石、ということか。「遉(日本での音(オン)は、テイ、か)」の「貞」は、正しい、ということであり、「辶」(シンニョウ)は進むことを意味し、「遉(さす)がは稚い子で御座る」などは「稚い子」としてあるべき貞(ただ)しい道をすすんでいるので「遉」、「翁姫、天にあがりける時、帝の御契有繋(さすが)に覚て」(『海道記』:下記●の例)などは、当然そうだろうという深い繋(つな)がりを感じさせるので「有繋(繋(つな)がりが有る)」、ということか。

 

●「さすがかは(さ為が「彼は」)」

「空いと黒う、雲もあつく見えながら、さすがに日はけざやかにさし出でたるに」(『枕草子』:そのようにあるのがあれはに。あれがまさに日だ、日の力だ、という状態に)。

「北の方、喜ぶ事、さすが限りなし」(『落窪物語』:北の方であれば当然そうで)。

「男も女も、いと下種(げす)にはあらざりけれども、年ごろ、わたらひなども悪(わろ)くなりて、家も壊(こぼ)れ、使ふ人なども徳ある所へ行きつつ、ただ二人住みわたるほどに、さすがに下種にしあらねば、人に雇はれ、使はれもせず…」(『大和物語』:下種でなければ当然そうで)。

「西の京六条わたりに、築地所々崩れて草生ひしげりて、さすがに所々蔀(しとみ)あまたささげわたしたる所あり」(『大和物語・附載』:それなりの公家の邸宅なら当然そうだろうことに)。

「などかまろをまことに近く語らひ給はぬ。さすがにくしと思ひたるにはあらずと知りたるを」(『枕草子』:そうするのがあなた、という状態でにくしと思っているのではないと知っているが)。

「福原は山隔たり江重(かさなり)てほどもさすが遠ければさやうの事たやすからじとて…」(『平家物語』:一般の人もそう思っているように当然遠い)。

「扨々(さてさて)むさくろしい子で御ざるに依て、私も進上物を見る様につヽとさし出いて抱ておりましたれば、遉(さす)がは稚い子で御座る。私を見ますると、にこりにこりと笑らひまする。…」(「狂言」『なはなひ(縄綯)』:子供とはそういうもので)。

「慥(たしか)なとは思へども、さすがは小腕、まさかの時の手の内心元ない」(「歌舞伎」:小腕の者とはそういうもので)。

「この童さすが恥ぢて言はず」(『土佐日記』一月七日:子供とはそういうもので、やはり子供で)。

 

◎「さすかかは(さ為か彼は)」

「さすが我が朝は粟散辺地の境、濁世末代といひながら、澄憲これ(一心三観の法)を附属して(その伝授を受け)、法衣の袂をしぼりつつ、都へのぼられける心のうちこそたっとけれ」(『平家物語』:「さすが、~といひながら、(澄憲は)一心三観の法を附属して(受け):つまり、この一文の表現は、さすが~(一心三観の法)を附属し、とつながる」。それほどのことが起こっているという感銘。 ※ 治承一(1177)年、澄憲は天台座主・明雲(みょううん)の伊豆配流に随伴し,一心三観の血脈を受けた:詠嘆)。

「(源氏)『つれなくて(何気なく)、人の御容貌推しはからむの御心なめりな((着物で)いろいろな人の容貌(その良し悪し)を推しはかろうとする御心のようだ)。さて、いづれをとかフォームの始まり

フォームの終わり

思す(あなたはどの着物が自分に合うとお思いか)』と聞こえたまへば、(紫の上)『それも鏡にてはいかでか(鏡に見ただけでは…)』と、さすがに恥ぢらひておはす」(『源氏物語』:紫の上もそのように恥じらうことの感銘:詠嘆)。

「五・六才の小児の如く候由。さすがの豪傑、是非無き次第に御座候」(「高橋至時書簡」:これは「さすがの豪傑も」と「も」を入れるとわかりやすい:詠嘆)。

「通盛の卿の文にてぞ有ける。車に置くべきやうもなし。おほち(大路)にすてんもさすがにて、はかまの腰にはさみつつ」(『平家物語』:一般の人のあり方、世のあり方として疑問が起こっている:疑問)。

「歌さへぞひなびたりける。さすがにあはれとや思ひけん。いきて寝にけり」(『伊勢物語』十四:「さすか」の「か」は詠嘆的。人情というものはそうなってしまうのか…、のような詠嘆:詠嘆)。

「いみじうつつみ給へどしのびがたき気色のもり出づる折々、宮もさすがなる事どもを多くおぼしつづけけり」(『源氏物語』:これも「さすか」の「か」は詠嘆的。慎(つつ)み、自分でも思いをおし殺しはしたが、思わずにはいられないのだ、それは…、と思うことごと:詠嘆)。

「中納言めさでもさすがあしかるべければ、箸とってめすよししけり」(『平家物語』:立場上、中納言を召さないことへの疑問と抵抗が起こっている:疑問)。

「あはじともいはざりける女の、さすがなりけるがもとにいひやりける」(『伊勢物語』二十五:「さすか」の「か」は疑問的。会わなかったが会わないとも言わなかった今さらどうかと思うような女のもとへ:疑問)。

「人の程(身分など、人の社会的上下・貴賤の程度)の心ぐるしきに、名の朽ちなむはさすがなり」(『源氏物語』:身分を思えば心苦しく、社会的評価が朽ちてしまうのは、そうなってしまうのか?(それでいいのか?)と思うことだった:疑問)。

「是やわが求むる山ならむと思ひて、さすがに恐ろしくおぼえて」(『竹取物語』:勇敢に進むつもりでいたが障害が働きやはり…。「さすか」の「か」は詠嘆的。この山を見れば人はそうなってしまうという詠嘆:詠嘆)。

「祇王もとよりおもひまふけたる道なれども、さすがに昨日けふとは思よらず」(『平家物語』:「さすか」の「か」は詠嘆的。情況の進行展開が予想・覚悟外であり:詠嘆)。

「さすがに賢い継母も一切を父吉左衛門には隠さうと言うほど狼狽していた」(『夜明け前』島崎藤村:さすがに賢い、ではなく、さすがに狼狽していた:詠嘆)。

「姫君(玉鬘)は、((自分と父と娘の関係になっている)源氏の)かくさすがなる御けしき(恋情)を『………人に似ぬありさまこそ(世間的に異常な有様こそ)、つひに世語りにやならむ』と、起き臥し思しなやむ」(『源氏物語』:これは、それは人としてあってはならないことではないか、という疑問障害により動揺している:疑問)。