「さししき(差し敷き)」。「さし(差し)」は異物・異事介入感を生じさせること→「さし(射し・差し、その他)」の項。「しき(敷き)」は進行的な動感が影響を及ぼす状態にすること。何か(A)に対し何か(B)を平面的に広げたりする。「さし(差し)」の情況変動感による異物感は「さしあたり」のそれのように、当面の、一時的な、のような意味にもなり、「しき(敷き)」は地上に何かを敷設することも意味し、「さししき(差し敷き)→さじき」は、当面の、仮設的、施設を設けること、そしてその施設、を意味する。客をそこに集め芝居などを見せるための施設である。舞台があり、地上に茣蓙(ござ)が敷かれたりもする。

これは「さずき(桟敷)」とも言う。これは 「さしすき(差し造き)」。「さし(差し)」は上記と同じであり、「すき(造き)」は何かを世界に表面化させ現すこと。「造(つく)り」に意味が似ている。→その「すき(造き、鋤き、その他)」の項。つまり「さずき(桟敷)」も仮説的な施設を現すことですが、「~しき(敷)」よりも作りは造作的です。

後世では一般に催し事の観覧席や部隊の観客席を「さじき(桟敷)」という。

「于時右大臣投毬子、左右競打、雅楽寮随勝負奏楽、此間狼藉之甚殆如闘乱………十列八番之間、左衛門陣之間狭数有大闘乱之事、放声呼者数十人、居件狭数者…」(『九条殿記(くじょうでんき)』(藤原師輔(~もろすけ)の日記『九暦』の別記を部類したもの)五月節・天慶七(944)年五月六日:右大臣が毬(まり)を投げ、左右がこれを打つという競技(杖で玉を打つ競技でしょう)がおこなわれ、狭数(さじき)で大乱闘があったらしい)。

「今年多の不思議打続中に、洛中に田楽を翫ぶ事法に過たり。………同年六月十一日抖薮(とそう:行脚修行)の沙門有りけるが、四条橋を渡さんとて、新座本座の田楽を合せ老若に分て能くらべをぞせさせける。四条川原に桟敷を打つ。希代の見物なるべしとて貴賎の男女挙(こぞ)る事不斜(なのめならず)…」(『太平記』)。

 

・「つんぼさじき(聾桟敷)」という語がある。これは、江戸時代(それ以前でもよいが)、芝居小屋の桟敷(観客席)における正面二階(その位置ではなくともよいが)、もっとも奥が、舞台の声が聞こえず、そこにつめかけ立ち見する客たちがまるで棒(ボウ)を積み立てたようにただ茫然としていたことから、そうした状態にある桟敷を「つみボウさじき(積み棒桟敷)」と言い、その変化。そしてそのような立場(声の聞こえない立場)におかれることを「つんぼさじきに置かれる」と言い、そうした立場にある人を「つんぼう・つんぼ」と言う。「つんぼうさじき」とも言う。「皆下(くだり)役者の時代物、聾(つんぼう)桟敷の耳遠きをいかにせん」(『東海道中膝栗毛』:「つんぼう」は原文にある読み仮名)。

(参考)

「御身はこりやみヽがきこへまするか…………三ヶ年此かた、つくりつんぼうと成て世上のふうぶんをためす所に、大かたまことのつんぼうと思ひはだ(肌)をゆるす…」(「浄瑠璃」『信田小太郎』(近松門左衛門))。

「『ヤイヤイ、つんぼ。つんぼはおらぬか。聾、聾』『イヤ、呼ばるヽさうな。ハァ、呼せられまするか』『今の程聲をはかりに呼ぶにどれにいた』『お次(次の間・隣室)におりまして御座る』」(「狂言」『きかずざとう(聞かず座頭:不聞座頭)』:つまり、この「つんぼ」は聞こえないわけではない。聞こえが悪い)。