・「さし(射し)」(自動表現)―S音の動感は記憶再起性があり、記憶再起性は情況変動感となり、その情況変動が自動詞として、現れ、となる自動詞としての「さし(射し)」がある。「日がさし(射し)」、「春のきざし(兆し・来射し)」、「潮(しほ)のさし引き(満ち引き)」、「茜(あかね)さす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き…」(万20)。木の枝がのびたり若葉が萌え出たりすることも言う。「こちごちに枝させる如」(万213)。「若葉さす野辺の小松を…」(『源氏物語』)。

 

・「さし(差し)」(他動表現)―その情況変動を情況へ働きかけた場合、相対的変動感、異物感、異事象感、異情況感が表現される。情況へ異情況を介入させたり挿入したりする。異物・異事・異動・異情況を介入させる。客観的に異感が表現されているだけなのか、その「さ」に主動的動感が働いているかによっても動態の衝撃性は変わる。「針を布にさす(刺す)」は客観的な異感であり、「針で布をさす(刺す)」は布に「さ」による動感が作用し動的衝撃感が生じている。「さし殺す」の「さす」は後者であり、その場合単にナイフその他に何かに向けての動感が生じているだけではなく、刺された客体に動的衝撃性が生じている。「花瓶に花をさす(挿す)」、「刀をさす」、「傘をさす」、「網(あみ)をさす(→さし網)」、「水をさす」(何かに水を加えること(注す)も、(比喩的に、湯の温度を下げるように)何かの進行を邪魔するようなことをすることも、言う)。異事介入は加入にもなり「さしひき」は加えることと引くこと。異事介入の障害感(「障し」)は障害のある動態を表現し(「磐戸(いはと)を閉(さ)して…」(『日本書紀』))、欠落感(完全性への障害感)のある不完全な動態も表現する→「言ひさし(止し)」。異物介入による障害感は閉鎖感にもなる(鎖し)→「錠をさし(鎖し)」。

他の動態と複合した表現も多い。「さし上げる」「さし出す」「さし入れる」等の場合その異感による動態の強調が生じている。これは贈与の謙譲表現にもなる(相手へ上げることはこちらが下がっているということです)。「さしさはり」「さしつかへ」「さしとめ」「さしづめ」「さしひかへ」は動態に障害感が生じている。「さしわたし」は「さ」の情況的動感(それにより情況的指し示し)により動態の全体感が表現されている。「さしむけ」の「さし」はむしろ「指し」(下記)であり動態の目標感・目的感が表現されている。その他「さし」と複合した動詞は多い。

ちなみに、「差す」という表記の「差」という漢字は食い違うような状態を表現し、その食い違いが異物感を表現する可能性はあったとしても、これは「さし」の意味を表現する文字ではない。これは「サ」の音(オン)を利用した当て字。

 

・「さし(指し)」(他動表現)―S音の記憶再起性は対象感を生じ「さし」は、何かを指し示す動態、対象感・目標感のある動態を表現する。「東をさして飛ぶ」。「時計の針が9時をさす」。「盃をAにさす(Aにすすめる)」は動的「さ」による「さす」。「盃でAをさす」は盃でAを指示し示すような仕草をすることで、指示の「さ」によるもの。微妙なのは指(ゆび)であり、指をさす、はそれだけでは指に動作が生じたとも指を目標に指し示したともとれる。指に関しては一般に助詞を入れず「指さす」と言えば指をのばし何かを指し示したような動作をしたことが表現される。「ものさし」:ものを指し示し、指し示しは提示となり、その提示はものの形状の数的表現への還元であり、数的表現に還元されたそれは全体的な構成秩序に組み入れられる。「さしむかひ」:お互いがお互いをさす(指す)方向で向き合う。