◎「ささめき(囁き)」(動詞)

「さやさやめき」。「さやさや」は擦過音を表現する擬音。「さ」が擦過擬音であり、「や」は感銘的・情感的発声であり、「~や」は主動情感的にそうした情況が有ることが表現され(「さやさや」)、「~ら」は客観情況的であり、客観的にそうした情況があることが表現される(「さらさら」)。「めき」は「春めき」その他のそれ(→「めき」の項)。この「めき」は芽が萌え出るような動態を表現し、「さやさやめき→ささめき」は、擦過音が、あるかないかに萌え出るような動態を表現する。とくに、何を言っているのかはわからないが、人同士が話している、その言語活動が感じられる―そんな情況を表現する。声帯を振動させない言語活動や、そんな印象の噂話をすることも表現する。意味は「ささめ」に似ており(→「ささめごと」の項)、「ささめきごと」(人がささやくようにひそひそと話すこと、話すその内容)という語もある。ただ、「ささめき」の方が表現が客観的であり、「ささめごと」にくらべ「ささめきごと」は男女の睦言(むつごと)の印象は弱いように思われる。

「『……』と、御前なる人びと、ささめき聞こえて、憎みきこゆ」(『源氏物語』:人々がひそひそと不満を言った)。

「応天門の前を通りけるに、人のけはひしてささめく」(『宇治拾遺物語』)。

「あやしく、(朱雀院と乳母が)うちうちに のたまはする (女三宮に関する)御ささめき言どもの、おのづからひろごりて、心を尽くす人びと多かりけり」(『源氏物語』)。

 

◎「さざめき」(動詞)

「さはさはめき」。「さは」の「さ」は情況的動感を表現するそれであり、「は」は提示の助詞にもなっている感覚的感づき、全的感づかせ、の「は」であり、この「さは」は情況感覚的に「さ」が起こっていること、動感情況があること、を表現する。全体的に動揺があり、自然現象として音響の発生もともなうでしょう。二音の連音で持続が表現され「さはさは」とも言い、濁音化により語感の強化も起こり「ざはざは」にもなり、「ささめき」も「さざめき」や「ざざめき」にもなる。「めき」は「春めき」その他にもあるそれ(→「めき」の項)。

「竹のある所にて、風の吹くにいみじうさゝめきければ」(『小大君(こおほぎみ)集』(平安後期か)) 。

「この世に目馴れぬまめ人(夕霧)をしも『これぞな、これぞな』とめでて、さゞめき騒ぐ声、いとしるし」(『源氏物語』)。

「『……』謡ひ了(をは)れば一座の人、悦(よろこ)びさゞめき給ひけり」(「浄瑠璃」)。

「笑ひさざめく」。

「八百八つのみす(御簾)すだれ(簾)のきちやう(几帳)もざゝめいて」(「御伽草子」『唐糸草子』:この「ざ」の原文は変体仮名たる「左」に濁点)。

「Sasameqi(ササメキ), u, eita. Alborotarse vno interiormente, o alterarse. Vt, Munega sasamequ(ムネガ ササメク).……」(『日葡辞書』:「Alborotarse vno interiormente, o alterarse」は、心的に混乱したり動揺したりする、ということか。いわゆる、胸騒ぎ。こうした用い方もされている)。

 

◎「ささめ」・「ささみ」

「ささめ」という、蓑(みの)の材料にする草を意味する語があり、「ささめのみの」という語もあり、「ささめ」が蓑(みの)を意味したりもする。蓑(みの)の材料にする草を意味する「ささみの」という語もある。「ささめ」は「さしはまへ(差し葉舞へ)」でしょう。「さし(差し)」は、傘をさし、のそれであり、(雨に対し)差(さ)した(それを阻止する)葉(は)を舞はせるもの、の意であり、これは草の葉を材料にした蓑(みの)の名にもなり、蓑(みの)にする草も意味した。蓑(みの)は藁(わら)、草、麻(あさ)その他、さまざまな材料でつくられる。「ささみ」は「さしはあみ(刺し葉編み)」であり、(草の)葉を刺すようにして装着し全体を編むこと・編んだもの(形成すること・形成したもの)ということであり、これも蓑(みの)を意味し、「ささみみの(ささみ蓑)→ささみの」という語にもなっているのでしょう。

「やまかつ(山賤)のむすひてかつく(被く)ささめこそころもの(衣の)せきと(関と)あめ(雨)をとほさね(透さね)」(『夫木(フボク)和歌集』:山賤(やまがつ)の蓑(みの)は雨をとおさないが私の衣(の袖(そで))は(涙の)雨をとおしてしまう、ということ)。

「小々妻 サヽメ 藻鹽草ニアリ、山野ニ生ズ、賤民ハサヽミノト云蓑ニ結フ草也、茅ノ類ナリ、長シ、又賤民編之爲筵(賤民これを編み筵(むしろ)となし)カヤムシロト云」(『大和本草』)。