◎「さき(以前)」
「さりき(去りき)」。「り」の脱落。「き」は過去回想の助動詞と言われるそれ。この表現で、有り、そして去ったことを表現する。「さっき」とも言いますが、これは客観的にではなく現状的に言われ、そう言われるできごとは時間的に非常に近接している。
「故(かれ)、其(そ)の八上比賣(やがみひめ)は、先(さき)の期(ちぎり)の如(ごと)く、美刀阿多波志都(みとあたはしつ)。此七字以音」(『古事記』:「みとあたはし」は、結婚した、ということですが、神話的な特異な表現(その項))。
「さきの春も、花見に尋ね参り来しこれかれ…」(『源氏物語』:昨年の春も花見に来たこの人やあの人…。これは過去一般の春ではない) 。
「さきの大戦において…」。
「先に吾輩が耳にしたといふ不徳事件も実は黒(猫の呼び名)から聞いたのである」(『吾輩は猫である』:この「先に」は、叙述の少し前で、少し過去に、という意味にはなりますが、吾輩が先に耳にした、なにものかに遅れてそのあとで耳にしたわけではない、という意味ではない)。
「さっきそう言った」。
◎「さき(幸)」
「さき(咲き)」。動詞「さき(咲き)」の連用形名詞化。動態開放が生じること。繁栄すること。これは「さきはひ→さいはひ(幸ひ)」という動詞及び名詞にもなる。
「大君(おほきみ)の御言(みこと)のさき(佐吉)を聞けば貴(たふと)み」(万4095)。
◎「さきく(幸く)」
「さききえゐ(幸来得居)」。「きえゐ」が「けゐ」のような音を経つつ「く」になっている。「さききえゐ(幸来得居)→さきく」は、幸(さき)がやって来てそれがあなたのこととなっている状態で、の意。慣用的には「さき(幸)」を語幹としたク活用形容詞の連用形のような印象で用いられたでしょう。しかし「さきし(幸し)」というク活用形容詞は現れていない。完全、本物などを表現する「ま(真)」がついた「まさきく」という表現もある。
「行矣(さきくませ)、寶祚(あまのひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きはま)り無(な)けむ」(『日本書紀』)。
「恙(つつみ)なくさきく(佐伎久)いまして早(はや)帰りませ」(万894)。
「父母(ちちはは)が頭(かしら)かき撫(な)でさく(佐久)あれて(と経)言ひしけとば(言葉)ぜ忘れかねつる」(万4346:この「さく」は「さきく」の「き」が無音化しているものでしょう。これは東国防人の歌)。